「ドアノブに電流が流れているんで気をつけてください」
スタッフルーム内の男性更衣室に入ろうとしたら突然背後から声をかけられ、振り返ると男性スタッフの鈴木(仮名)が立っていました。
周囲を見ると食事をしていた若い女性スタッフたちも箸を止めて僕と手元のドアノブに注目しています。
状況が飲み込めず再び鈴木に目をやるとウィンクして僕に合図してきました。
(オマエ、まさか…)
イヤな汗が一筋、背中を流れました。
ーーあれは数ヶ月前のことです。
スタッフルームでコーヒーを飲んでいたら「隣、いいすか」と鈴木コーチが座ってきました。
彼とは別のスポーツクラブから仕事を一緒にしていて、かれこれ5年以上の付き合いになります。
年下で少しお調子者なんですが面倒見がよく、なぜか僕を慕ってくれるので公私ともに色んな話をしてきました。
「万里さん、最近困ったこととかないですか?」
「気にかけてくれてありがとうね。特にはないけど、あえて言うなら…」
「なんですか、言ってくださいよ!僕と万里さんの仲じゃないですか!」
「いや困ったって程じゃないんだけどさ、最近の若い女性スタッフたちとどうコミュニケーションとったらいいのか分からなくてさ」
「なんだそんなことっすか!万里さんもオッサンだからなぁ」
「オッサンじゃねぇよ!いや実際オッサンだけどそんな歳が離れてないオマエに言われたくねぇよ」
「アハハハ!まぁ、僕に任せてくださいよ!作戦がありますから!」
「気持ちは嬉しいけど変なことすんなよ」
「大丈夫ですって!」
なんてやりとりをしたんです。
この時はいつもの他愛もない会話だと思って、話した内容すらすぐに忘れていましたーー
そして今日。
スタッフルームに入り男性更衣室の扉を開けようとしたら
「ドアノブに電流流れているんで気をつけてください」
と背後から鈴木に声をかけられ、振り返ると彼は満面の笑みでウィンクしてきたんです。
他の女性スタッフたちも僕に注目しています。
(オマエ、まさかあの時言ってた作戦ってこれか?)
全てを一瞬で理解した僕は、背中にイヤな汗が流れるのを感じました。
つまり
鈴木が女性スタッフの前で無茶なネタをフる
↓
僕が見事にボケて周囲が大爆笑する
↓
これをキッカケに僕が女性スタッフたちと打ち解ける
↓
鈴木は人しれず姿を消す
↓
Fin
という、いわば『泣いた赤鬼作戦』を鈴木は決行したのです。
僕になんの打ち合わせもなく。
だけどせっかく鈴木が作ってくれたチャンスなので無駄にすることはできません。
何よりここで僕がスベればネタをフった鈴木も連帯責任で「つまらないヤツ」とレッテルを貼られる危険すらあります。
(やるしかない)
覚悟を決めた僕は女性スタッフたちに注目される中「そんなコトあるわけ…アワワワワワッ!」とドアノブをつかみ感電したフリをしたのですが、結果は
『ややウケ』
でした。
鈴木をはじめ女性スタッフたちが笑う中、僕は空気に耐えられなくなり「急な無茶ぶりやめてくれよなー」とオドケながら男性更衣室に逃げ込みました。
そして更衣室の扉を閉め、部屋の真ん中にある椅子に腰を下ろして深いため息をつきました。
「最良のサービスとは相手の期待を超えたところに有るはずなのに、僕は一瞬『恥ずかしい』と躊躇してボケの勢いをセーブしてしまった。
みんなは笑ってくれたけど、それは僕が『期待通り』のリアクションをしたからだ。
もし僕が『期待以上』のリアクションをしていれば大爆笑していたはずだ。
もっとテンションを上げて振り切ったリアクションができたはずなのに。
声ももっとはれただろ。
身体だってもっと動いたはずだ。
何よりボケた後にすぐ更衣室に入るんじゃなくて『あ、電流のおかげで肩こりが楽になったよ』くらいのアフターボケの一つも言えたのに。
せっかく鈴木が僕のために解りやすい、それこそダチョウ倶楽部でもやらないレベルのフリをしてくれたのにプライドが邪魔して全力を出せなかった。
彼に申し訳ない。そしてそれ以上に自分が情けない」
そんな考えが頭の中をグルグル周り、しばらく更衣室でうなだれていたんです。
気を取り直してレッスン着に着替えて男性更衣室から出ると、鈴木はまだ女性スタッフたちと談笑していました。
楽しそうに話す彼を見て
(あぁ、ごめんよ鈴木。お前のパスを100%生かしきれなくて)
と申し訳ない気持ちで胸が一杯になりました。
そしてスタッフルームから出ようとした瞬間、再びあの台詞が聞こえたんです。
「ドアノブに電流が流れていますよ、万里さん」
振り向くとそこには鈴木が立っていました。
彼の顔は僕の悩みを全てを見透かしたような、それこそ聖人のような笑顔だったのです。
(オマエ、僕がさっきのリアクションに納得いかなかったのを理解して天丼(同じボケやフレーズを繰り返すコト)をかましてくれてるのか…)
感動した僕はアイツの好意に応えるため、何より過去の自分を乗り越えるために全力で「何バカななこと言って…アババッババッババッバッバb!!」と全身をビクンビクン痙攣させてリアクションをとったのですが、結果は
『スタッフルームが静まり返るほど滑る』
でした。
どうやら1回目のリアクションで正解だったみたいです。
さっきまでみんな談笑していたのが遠い昔みたいで、誰も一言も発しない思い空気の中、冷蔵庫の『ヴゥ…ン』という低いモーター音だけが異様に大きく聞こえたのが印象的でした。
て言うか無理だって。
オレお笑い芸人じゃねぇし。
ダンサーだし。
つーかオマエのフリだとどう転がしてもそんな面白くなんねぇし。
そもそも本当にこれで女性スタッフ達とコミュニケーション取れるようになると思ったのかよ。
大丈夫かオマエ。
このままじゃ恥ずかしすぎて泣くかと思ったので「いやこれさ、さっきも思ったんだけど誰も得しないからやめようぜ」と空気に耐えきれず口にしました。
そしたらお弁当を食べていた女性スタッフが「確かに」とボソリと言ったんですよ。
オマエが言うなよ。
それを聞いた鈴木は大爆笑してて、その心の底から楽しそうに笑う姿を見て
「あ、コイツ絶対に僕のためにやったんじゃないな。いつものお調子者100%のノリでネタ振りやがったな」
と確信しました。
まぁそんなこんなで結果的に赤鬼(僕)は泣いたんですけど、理由は完全に
青鬼(鈴木)に対する恨み
でしたね。
と言うわけで、近いうちタイミングを見て絶対に青鬼も泣かしてやろうと思います。