あれは僕が5歳の春でした。
父が2週間ほどオーストラリアへ旅行することになったんです。
出発の日、空港ロビーで僕は父にカンガルーのお土産をお願いしました。
「僕、お土産はカンガルーがいい」
「カンガルーのヌイグルミか?」
「違うの。生きてるやつ」
「生きてるカンガルー?」
「うん。それでお母さんカンガルーなの」
父は少し困った顔をしてから「おまえが良い子にしていたらな」と頭をポンポンと撫でて出発しました。
ーーー子供の頃、カンガルーの袋に入って保育園に通園するのが僕の夢でした。
当時のテレビ番組『わくわく動物ランド』で赤ちゃんをポケットに入れて高速移動するカンガルーを見て衝撃を受けたんです。
「お兄ちゃん、僕もカンガルーのポケットに入れるかな!?」
「ん?あぁ、入れるんじゃない?」
興奮のあまり横にいた兄に質問する僕。テキトーに返事する兄。
「そっかぁ!いつかカンガルーの袋に入って保育園に行きたいなぁ!」
まだ純粋だった僕は兄の言葉を信じ、その日からカンガルーの熱狂的なトリコになりました。
保育園で先生が「好きな乗り物は?」と質問した時も、みんなが手を挙げながら「コンコルド!」「スペースシャトル!」「カウンタック!」と口々に答える中で僕一人だけ
「カンガルー!カンガルー!」
と叫んでいましたからね。
『好きな乗り物』というテーマで絵を描く時も、みんなが飛行機や宇宙船、スーパーカーを描いてる中で僕一人だけ
カンガルー
を描いてましたからね。
「万里くん、『好きな動物』ではなく『好きな乗り物』を描くのよ」
先生に描き直すよう促された僕は
カンガルーの袋に入りハンドルで運転している絵
を再提出しました。
描いた絵は廊下の壁一面に張り出されるのですが、みんなのカラフルな絵の中で僕の絵だけ赤茶色で浮いていました。
カンガルーの絵を指さして笑う友達たち。
でも僕は恥ずかしくも悲しくもありません。
だってカンガルーの袋に入って運転している自分の絵が誇らしかったんです、すごく。
*
そんなワケで、父がオーストラリアに行くと聞いた時は「これは運命に違いない!」と喜びましたね。絶対にカンガルーを連れて帰ってもらおう、と。
父が出発した翌日、僕は隣の家に住むケンタ君にカンガルーをお土産にもらうこと、そして袋に入って通園する事を話しました。
ケンタ君は2つ歳上の小学生。
近所の子供達のまとめ役で、みんなのお兄ちゃん的な存在です。
「再来週からウチにカンガルー来るんだ。そしたらケンタ君も乗せてあげる!」
「それは楽しみだね。でも大丈夫なの?」
「なにが?」
「カンガルーってずっと跳ねてるじゃん。乗ったら酔わないかな?」
確かに言われてみれば。
「そうだった。どうしよう……」
僕は乗り物酔いが酷くて、ブランコでも3往復で気持ちが悪くなるほど。
カンガルーには乗れないかもしれない。そう思うとポロポロと涙が溢れてきました。
するとケンタ君は「待ってて」と言い、自宅からホッピングを持ってきたんです。
「これで慣れれば大丈夫だから。だから泣かないで」
涙でグシャグシャの顔を上げると、ケンタ君は満面の笑顔で言いました。
「一緒に『カンガルー・ライダー』の練習しよう!」
カンガルー・ライダー。
なんてカッコいい響きなのでしょう。仮面ライダーよりも100倍カッコいい。
その言葉が嬉しくて僕は声をあげて泣きました。
「ありがとう」って言いながら。
*
その日以来、保育園から帰ると毎日ケンタ君とカンガルーに乗るための練習をしました。
自宅から保育園を目指し、僕がホッピングで跳ねて、ケンタ君が後ろから歩いて着いてきてくれて。
距離にすると約300メートル。子供が歩けば5分程度の距離ですが、いつも半分くらいで気持ち悪くなりました。
「う〜〜ん、キモチワルイ……」
自宅から保育園の中間にある公園のベンチで横になる僕。その周りをケンタ君はガションガションとホッピングで跳ねながら何かを考えています。
「わかったぞ!!」
突然ケンタ君はホッピングから降りて叫びました。
「大きく跳ねるから気持ち悪くなるんだよ!だから出来るだけ頭の位置が変わらないように小さく跳ねればいいんだ!」
スゴい、と呟いて僕は上半身を起こしました。ケンタ君の洞察力に感動したんです。さすが小学生だ、って。
でも、よくよく考えてみればこれって意味ないんですよね。
だってカンガルーのジャンプの高さに慣れないと意味ないから。
たとえホッピングで頭の位置を変えないで小さく跳ねられるようになっても、実際にカンガルーに乗ったらガンガン跳ねるので結局酔っちゃうんですよ。
しかし子供だった僕らはそんな事実に気が付くはずもなく、頭の位置を安定させて小さく跳ねる練習を始めました。
肩とヒザの力を抜いて衝撃を吸収し、最小限の高さで跳ねる。
するとケンタ君の予想通り、気持ち悪くなりませんでした。
練習から10日目、父が帰国する前日のこと。
何度も地面に降りましたが、僕はついに自宅から保育園までホッピングで移動することができたんです。
「これでカンガルーに乗れるよ!ケンタ君ありがとう!」
やったやった!と2人で保育園の前で大喜びしました。
まるで子カンガルー達が戯れてるようにピョンピョンと飛び跳ねながら。
*
「はい、約束のお土産だよ」
帰国後、父が手渡してくれたのは
ヌイグルミ
でした。
しかも
コアラ
でした。
全てが約束と違う。かすってもいない。
「お父さん、約束したカンガルーは?」
「あぁ、それはな」
泣きながら聞くと、父は僕の目を見て優しく語り出しました。
「お父さんはカンガルーを捕まえた」
「じゃあ、連れて帰ってきてよ!」
「でも、お母さんカンガルーには子供がいたんだ。ちょうど万里くらいの小さな子供が。お父さんにはこの親子を引き離すなんて出来なかった。おまえもお母さんと一生離れるのイヤだろ?」
突然見知らぬ人が現れて母が連れ去られる。
そんな想像をしたらミゾオチのあたりがギュウッと苦しくなりました。
当然これは父がカンガルーを諦めさせるためのウソです。きっと空港ロビーでの約束からこの言い訳を考えていたのでしょう。なぜヌイグルミがコアラだったのかは今でも謎だけど。
でも子供の僕は父の言葉を信じ、その夜はベッドでオーストラリアのカンガルー親子に何度も謝りました。
「ごめんなさい」って。
「もうカンガルー欲しがらないから、どうか親子で安心して暮らしてください」って。
コアラのぬいぐるみを抱きしめながら。
*
「……というワケで、カンガルーは無理だったんだ。ケンタ君にも乗せてあげる約束したのにゴメンなさい」
翌日、ケンタ君に約束を守れなかったことを謝りました。
約束を守れなかっただけじゃない。
あれだけ練習に付き合ってくれたのに結局ムダになってしまった。
カンガルーに乗る夢も、ケンタ君の優しさも、保育園の前で2人して飛び跳ねて喜んだのも、全て意味の無いことだったんだ。
きっとケンタ君に責められる。ウソツキって言われる。嫌われるかもしれない。
……ケンタ君に嫌われたくない。
そう思うと悔しくて、悲しくて、怖くて、なんか色んな感情がグチャグチャになってポロポロと涙が溢れてきました。
するとケンタ君は「待ってて」と言い自宅から再びホッピングを持ってきたんです。
「これで大丈夫だから。だから泣かないで」
僕らが初めてホッピングでの練習をした日と同じセリフ。同じシチュエーション。
1つだけ違ったのは、ホッピングのハンドル部分にマジックで
カンガルー号
と書かれていたことでした。
涙でグシャグシャの顔を上げると、ケンタ君は満面の笑顔で言いました。
「これで僕たち『カンガルー・ライダー』だよ!」
カンガルー・ライダー。
何度聞いてもカッコいい響きですよね、カンガルー・ライダー。
やっぱり仮面ライダーより10000倍はカッコいい。
もしかしたらケンタ君が言うからかもしれないけど。
その言葉が嬉しくて。
ケンタ君の優しさが本当に、本当に嬉しくて。
僕は声をあげて泣きました。
「ごめんがとう」と何度も言いながら。
「ごめんなさい」と「ありがとう」が混ざってしまったんですね。
ケンタ君は
「何言ってるかわからないよ」
とずっと笑っていました。
*
父が帰国して一ヶ月が過ぎた頃、保育園で再び絵を描くことになったんです。
テーマは『将来なりたいお仕事』。
描いた絵はいつものように廊下の壁一面に張り出されました。
「万里くん、ちょっと来て」
教室の隅で絵本を読んでいると担任の先生が呼びに来ました。
「万里くんが描いた絵、なんのお仕事なのかな?」
廊下に行くと、僕の絵の前で他のクラスの先生達も不思議そうに首を傾げていました。
消防士、看護婦さん、警察官、サッカー選手、宇宙飛行士にレーシングドライバー……
みんなが描いた様々な職業の絵の中で、相変わらず僕の絵は浮いていました。
でもそれが誇らしくて。
やっぱり仮面ライダーよりもカッコよくて。
「これ、カンガルー・ライダーって言うんだよ」
僕は自分の絵、カンガルーとケンタ君に囲まれてホッピングで跳ねている絵を指さして答えました。
おしまい。