先週、スタジオに水筒を忘れてしまったんです。
中身はBCAA(サプリメント)が半分ほど入ったまま。
翌週までレッスンがないので「回収は1週間後だな」と諦めていました。
そして昨日、スタジオのスタッフルームでのこと……
「ごめん。先週、スタジオにピンク色の水筒なかった?中身が入ったままなんだけど」
「万里さん、また忘れ物ですか〜?」
スタッフのK君に忘れ物の確認をすると、笑いながら忘れ物ボックスを探してくれました。
彼とは5年以上の付き合い。仕事だけでなくプライベートな話もするくらいの仲良しです。
「コレですか?」
K君は箱からピンク色の水筒を取り出して、チャポチャポと振りながら見せてくれました。
「あぁ、それだよ。ありがとう」
「……」
水筒を見つめて黙るK君。
「どうしたの?」
「この水筒が万里さんのっていう証拠ありますか?名前が書いてあるとか」
「名前は書いてないなぁ。もしかして、僕のって証拠がないと引き取れない?」
「えぇ。本人の物と確認できなければお渡しできないんですよ」
考えてみれば、適当に「水筒忘れた」「タオル忘れた」「シューズ忘れた」とか言って他人の忘れ物を持っていくヤツもいるかもしれません。
「うーん……あ、その水筒について僕しか知らない情報ならある!それは証拠にならないかな?」
「なんですか?」
「中身はオレンジ味のBCAAなんだよ」
「わかりました」
僕の目を見て優しく微笑むK君。証言がウソで無いとわかってくれたのでしょう。
「僕も鬼ではありませんからね」
「よかった」
「この水筒の中身を飲み干したら万里さんを信じます」
全然よくねぇな。
1週間も常温放置したドリンクを飲ませるとか正気の沙汰じゃない。鬼そのものだ。
「おかしいって。なんで中身を飲んだら僕のだって証拠になるんだよ」
K君は「やれやれ」と言いたそうな顔で答えました。
「だって、もし他人の水筒だったら気持ち悪くて口をつけられないじゃないですか」
「1週間も放置した水筒は自分のでも気持ち悪いだろ」
「それに中身が本当にBCAAなら躊躇なく飲めるはずでしょ」
「1週間も放置したらBCAAだから躊躇してんだよ!絶対にお腹下すじゃねぇか!」
再び水筒に目を落として黙るK君。
「じゃあ、こうしましょうか」
どうやら彼も分かってくれたようです。この不毛なやり取りが終わる。良かった。
「とりあえず中身を飲んでください」
「だからなんで飲ませようとするんだよ!」
「落ち着いて最後まで聞いてください。中身が本当に1週間放置したBCAAなら、確かにお腹を壊すでしょうね」
「そうだよ」
「だから万里さんが中身を飲んでお腹を下したら信じます」
わかった上で飲ませようとしてんのかよ。
「じゃあ逆に下さなかったらどうなるんだよ」
「そしたら中身はBCAAじゃなかったってことですよね。万里さんはウソをついた罰として下剤を飲んでお腹を下してもらいます」
魔女裁判かな?
「結局お腹下すじゃん!」
「だから落ち着いて下さいって。すぐ正露丸飲めば大丈夫でしょ」
「正露丸はそんな万能薬じゃねぇよ!ていうか落ち着いてるオマエが怖いよ!」
「なに騒いでるんですか?」
口論していると女性スタッフのEさんがスタッフルームにやってきました。
「聞いてよ。こいつヤバいんだよ。先週僕が水筒を忘れたんだけどさ、返してほしければ中身を飲めって言うんだよ」
K君を指さして半泣きで訴えました。
Eさんの年齢は僕の10コ下ですが関係ありません。だってK君の思考は鬼を通り越してサイコパスだから。
「それ、やっぱり万里さんのだったんですね」
「やっぱり?どゆこと?」
「K君がスタジオ清掃した時に『これ、万里さんの忘れ物だと思うから保管しといて』ってその水筒を持ってきたんです。K君、万里さんのこと好きだから持ち物とか覚えてるんですよ」
衝撃の真実。K君は最初から僕の水筒だってわかっていたようなのです。
僕にかまって欲しくてワザと『中身を飲め』なんて煽ってきたのでしょう。
K君を見ると照れくさそうに頭をかきながら笑っていました。
お前、なんて可愛いヤツなんだ。
「ありがとう。K君が見つけてくれたんだね。助かったよ」
「だけど万里さん、さっき僕を指さして『こいつヤバい』とか言ってましたよね」
「ごめん。ムキになっちゃって。あ、ジュース飲む?おごるよ?」
「ジュースよりもお願いを1つ聞いてもらっていいですか?そしたら、さっきの件はチャラにします」
「よかった。僕に出来ることなら何でもいいよ」
「この水筒の中身を飲み干して下さい」
やっぱり全然よくねぇ。