この時期、僕のささやかな贅沢は『お昼にアジアのインスタントラーメンをベランダで食べる』という事です。
コレを夏にやると東南アジアに来た感がハンパなく、かなり気分転換になるんですよ。
今日も恒例のベランダランチを楽しもうと最近アジアンショップで買ったインスタントラーメンを作ったんですが、コレがビックリするくらい不味くて。
正確に言うと麺の食感が輪ゴムっぽかったんです。
1番近い例えは『輪ゴムを茹でてラー油かけたような食感』だと思います。
いや、やっぱ輪ゴムだわ。
あの食感は『劣化してボロボロの輪ゴム』が1番近かったわ。
ラーメン食べようとお湯を沸かしてる最中にテレビで『カップラーメンは2分で美味しい』的な内容のCMが流れたので「これはラーメンの神様からの啓示に違えねぇ」と思ったのがそもそもの原因ですね。
そしてベランダで輪ゴムラーメンをモギュモギュと食べながら「誰かにとってベストな方法が自分にとってもベストであるとは限らない。ではどうしたら自分が望むベストな結果が出せるのか」ということについて考えました。
たとえば。
現代ではネット検索すれば必要な答えが瞬時に出てきますよね。
オススメのレストランからファッション、美容や健康方、ストレス解消などの心のあり方まで、それこそまさに『無いものは無い』と言えるレベルでしょう。
しかし検索して出てきたベストな手段(答え)が自分にとってもベストな結果を出すとは限りません。
大勢にとって5つ星レストランも自分の口には合わないもしれないし、今流行りのファッションが自分には似合わないかもしれない。
実際このラーメンのように、CMでは『2分が美味い』と言ってたけど僕には『味付きの輪ゴム』でしかありませんでした。
しかし知り得た情報や手段を『自分には合わないだろう』と最初から拒絶・否定したり、根拠も無く自己流に固執するのもベストな結果から遠のいてる気がします。
ではどうすれば『自分が望むベストな結果』が出せるのか。
そこでたどり着いた答えは『情報を一旦受け入れ、実際に試してから結果との誤差(修正点)を見つけて改善を繰り返しアップデートしていく』でした。
なんてことはない、中学校あたりでやるテストアンドエラーの学習方法と変わらないのですが、この『改善点を見つけてアップデート』が難しいんですよね。
『自分の出した結果』と『自分が望むベストの結果』の差を客観的に観測して仮説を立てて再び挑戦して『自分の出した結果』と『自分が望むベストの結果』の差を客観的に観測して仮説を立てて…
これを繰り返していくのは気の遠くなる作業だし、結果を客観的に観測する度に厳しい現実を突きつけられるので精神的にもかなり辛いです。
だけどもそこまで出来る人間だけが『ベストの結果』を出せるのです。
世間ではその行動を『努力』と呼び、それを惜しまずに出来る人間を『努力家』と呼びます。
これはもう中学校どころか小学校から言われている事だし当たり前すぎて感動もしませんが、これこそが事実です。
この事実は将来どんなにネットが進化してもAIが台頭してきても決して変わらないでしょう。
そしてこの当たり前すぎて見落とされている『努力』という不変の事実に気づき、行動に移せた者だけが『自分が望むベストの結果』に辿りつけます。
なぜなら『自分が望むベストの結果』を出すには『努力すること』以外にないのだから。
最後の一口を食べ終えると同時に結論が出た僕は、軽く伸びをしてベランダからの景色を眺めました。
空は青く日差しが強い絵に描いたような夏空。
午後も茹だるような暑さです。
輪ゴムみたいな食感だったけど、今まで食べたどの食事よりも食べ応えがあり、僕の糧(かて)となるラーメンでした。
クーラーの効いた部屋に戻り食事の後片付けをしようとふとラーメンの袋を見ると、パッケージの写真が焼きそばなんですね。
またインスタント焼きそばをラーメンと勘違いして食べていたんですよ。
なので、美味しいインスタントラーメンが食べたい僕はまず『パッケージの写真をよく見て買う』という努力からしていこうと思いました。