朝、考え事をしていたら乗り換える電車を間違えてしまい、かなり回り道してしまいました。
「無駄なことしたなぁ」
そう思いながら普段降りない駅に降りると、いつもと違った新鮮な景色が広がっていました。
「こんな道あったんだ」
「美味しそうなお団子屋さんだ」
「めっちゃノラ猫いるじゃん。天国かよ」
10分にも満たない回り道でしたが良い気分転換になり、トラブルの解決策も見事に思いついて
「電車を間違えたのは無駄じゃなかったな」
なんて上機嫌になりました。
その時ふと昔からよく言われる
『無駄なことなんてない』
という言葉の意味がわかった気がしたのです。
僕はこの言葉をずっと『自分の行動を無価値だと認めたくない人間の負け惜しみやキレイゴトで、ある種の現実逃避』だと思っていて好きになれませんでした。
しかし実際は『無駄からも得るものがある』と説いた言葉だったのです。
スピード社会である現代において消費者は『効率』に価値を感じ『無駄』は無価値と判断します。
企業はそんなニーズに応えようと様々なサービスや商品の無駄を省き効率化を追求した結果、世の中はどんどん便利になっていきました。
しかし日常が便利になった反面、失われた機会もたくさんあったはずです。
例えば今日の僕のように
- 電車を間違えなければ見れなかった景色
- 回り道をしなければ感じなかった感情
そんな貴重な機会が、省かれた無駄の中にあったはずなんです。
もし無駄から得ることがあったなら。しかもそれが効率化を追求している限りけっして得られないような体験なら。
その無駄は『無価値』ではなく『価値』になるのではないでしょうか。
つまり
『無駄なことなんてない』
は負け惜しみでもキレイゴトでもなく紛れもない真実であり、どのような結果(たとえそれがある視点から見れば『失敗』と評価されるようなものでも)からでも学ぼうとする姿勢さえあれば全て価値のある経験になることを表した言葉なのです。
もし本当に『無駄なこと』があるとするなら、それは起きてしまった結果を『無駄だったな』と思考停止して何も学ばないでいることでしょう。
【無駄から学んだこと】
学ぶ姿勢があれば『無価値』な無駄は存在しない。
ーーー深夜、そんなことを考えながら自宅に向かって歩いていたんですよ。
今日は本当に貴重な体験をしたな、と。
よくマイナスをプラスに転化できたな、と。
これでブログに泣き言を書かなくてすんだぞ、と。
自分の成長に確かな手応えを感じた僕は、過去の失敗からも何か学べるんじゃないかと色々と思い出してみました。
そしたらまぁ出るわ出るわ。
ドバドバと負の記憶が溢れ出たんです。
トラウマの確変入ったかと思いました。
この記憶のフタ開けちゃいけないやつじゃない?
もしかしてパンドラの箱ってこれ?
耐えきれず
「あああぁああーーーっ!」
ってなりました。
たぶん声とか出てたんじゃないかな。
「どうしたのかな?」
背後からの声に振り向くと
警官が立っていました。
(この日は千駄ヶ谷〜南青山の警備がものすごく厳しくなっていたのです)
ここで
「過去を思い出してムシャクシャしてました」
なんて答えようものなら犯罪者予備軍の模範解答であり職質コースは確実。
ややこしくなる前になんとかしないといけません。
「えっと、昔のこと思い出したら声出ちゃって…」
「あー、なるほど。ちょっといいかな?」
ややこしくなりました。
「お兄さん、お酒飲んでる?」
「あ、飲んでません」
「カバンの中、見せてもらっていいかな」
シラフで奇声あげたのが決め手のようです。
まぁ時期が時期で場所が場所だし、深夜の高級住宅街で奇声あげてれば当然ですよね。
結局「夜はみんな寝てるんだから静かにね」と修学旅行の中学生のような注意をされて開放されました。
警官は職務をこなしただけなんですけど、ほんと無駄なやりとりでしたわ。
でもおかげでブログに書くネタができたのでこれは価値のある無駄ですよね。
内容は結局泣き言だけど。
【無駄から学んだこと②】
深夜に奇声をあげない。