今の話

カメムシ事件。

ハウスダンスインストラクター万里の日記

三連休の最終日。東京、雨。

「すみません。ちょっといいかしら」

休日でいつもより賑やかな電車内で本を読んでいると、右隣の座席の女性(7〜80代くらい)から声をかけられました。

「はい。どうしました?」

「コレ、なにかしら」

自分の足元を指差す女性。

そこには一匹のカメムシがひっくり返っていました。

緑色で小さな体。チャバネアオカメムシかアオクサカメムシでしょう。

起きあがろうと脚をバタつかせてクルクル回っています。

「虫……ですね」

「あら、やっぱり。でも変よね。」

「変?」

「えぇ。だってわざわざひっくり返っているんですもの」

虫も好きでひっくり返ってるワケじゃないと思うよ。

しかし、その

『虫が自らの意思でひっくり返っている』

と考える彼女の着眼点に感服した僕は

「確かに不思議ですよね。でも触らない方がいいですよ。カメムシなのでニオイが手に着いてしまいますから」

と笑顔で返しました。

「あら、カメムシなの。なら納得だわ」

「納得?」

「えぇ。だって、ひっくり返っても自分で起き上がれないからカメ(亀)ムシなんでしょ?」

たぶん名前の由来そこじゃないと思うよ。

しかし、その

『亀みたいな行動をとるからカメムシ』

と考える彼女の着眼点の鋭さに敬服した僕は

「きっとそうですね」

と笑顔で返しました(補足: カメムシの名前の本当の由来は『亀の甲羅の形に似てるから』です)

女性はしばらく無言でカメムシを見つめてから言いました。

「でもカメムシって田舎とかの外にいるじゃない。都会を走る電車の中で見るなんて思わなかったわ」

確かにカメムシは外や窓辺にいるイメージ。電車内の通路にいるのはあまり見かけません。

ちなみにカメムシの仲間でも大型で黒色の『クサギカメムシ』はよく室内に侵入してきます。昨晩なんてリビングで僕がカメムシ避けに育てているミントの茎に止まっていましたからね。

カメムシなら避けろや。

あとミントも頑張れよ。

急に感情が溢れ出して早口で語りそうになりましたが、そんなことしたら

『突然カメムシの文句を言う軽めの不審者』

と思われ車内に緊張が走るのは必至だったので「そうですよね」とだけ答えました。

女性はクルクル回るカメムシを見つめながら続けます。

「私ね、きっとこのカメムシは外国のカメムシだと思うのよ」

「外国?」

「ええ。だって外国の若い子がやるダンスしてるじゃない。ほら、背中でクルクル回るヤツ」

別にブレイクダンスしてるワケじゃないと思うよ。

しかし、その起きあがろうと暴れるカメムシを見て

『ブレイクダンス』

と考える彼女の着眼点の鋭さに心服した僕は

「確かに。ニューヨークの地下鉄では電車内で踊る若者もいますからね」

と笑顔で答えました。

「あらそうなの!?なんて言ったかしら、あのダンス。ほら、ブ、ブレ、ブ?イク?」

頑張れ!思い出せ!諦めんなよ!

何度も首を傾げる彼女を見て、僕の心の中の松岡修造が熱いエールを送ります。

「そうそう、ブサイクダンス」

「いやブレイクダンス!」

つい熱が入りすぎて強めのトーンで真顔でツッコんでしまいました。

ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン……

静まり返り、規則的な走行音だけが響く車内。

「え、えぇ。ブレイクダンスね……」

小声で頷く女性の瞳には不安と怯えの色が見えました。

僕らを見かねた左隣の初老の男性が

「楽しいお母さんだね」

と声をかけてきました。

「いえ、母ではありません。今ここで初めてお会いしました。」

そう答えると、男性は僕から顔を背けて「あぁ、そう」と肩と声を震わせて答えました。

向かいの座席に目をやると、皆んな一斉に僕から目を逸らしました。全員肩を小刻みに振るわせながら。

ピンと張り詰めた空気から察するに、どうやら僕は

『突然カメムシを指差して「ブレイクダンス!」と叫ぶ重めの不審者』

と思われたようです。

こちらの記事もおすすめ!