『ダンスが上手い人』と『ダンスが下手な人』の違いは、一体なんなのでしょうか。
今日はそんな素朴な疑問について解説します。
ダンサーなら誰もが一度は思うこと
先生などのお手本を見ながらやってるのに、なかなか身体が思うように動かない。
かたや、同じ先生に同じ時間習ってるのにメキメキ踊れる人もいる。
色んなジャンルや色んなスタイルでもすぐに動ける人だっている。
「あの人はなんてダンスが上手いんだ」
「ワタシはなんてダンスが下手なんだ」
と思う事、ダンサーなら誰でも経験があるはず。僕もそうでした。
でもこれは間違いです。
確かに、この段階での『ワタシ』は下手かもしれません。
しかしそれは
『ダンスが下手』
なのではありません。
『イメージのアウトプットが下手』
それだけなのです。
『上手い人』と『下手な人』の差は?
イメージのアウトプットについて、わかりやすく『絵』に置き換えて考えてみましょう。
例えば、ミッキーの絵が描きたい。
子供の頃から慣れ親しんでるキャラクターだから鮮明にイメージ出来ますよね。
ではそのイメージを紙に描いてみましょう。
この時、頭の中のイメージ通りに描ける人は少ないと思います。
「あれ?なんか違う」「イメージ通り描けないや」と感じるはず。
逆にものすごく上手に描ける人もいるでしょう。
そんな人を見るとやっぱり「あの人は絵が上手いな」と思いますよね。
そしてこうも思うはず。
「それに比べて、ワタシは絵が下手だ」
って。
ここからが重要。
絵の上手い『あの人』と絵の下手な『ワタシ』の差はなんでしょうか。
段階に分けて考えてみます。
絵を描くまでに、大きく分けて3つの過程を踏みました。
- 何を描くか対象を決める
- 対象をイメージする
- 描く
です。
①何を描くか対象を決める
皆んなが知ってるキャラクター、ミッキーです。同じ対象なので差はありません。
②対象をイメージする
カンタンにイメージできたはず。ここにも差はありません。
③描く
紙に描いた時に完成度の差がでました。
ということは、③の描く段階、つまり
『イメージのアウトプット』
に差があるのです。
『あの人』と『私』の差。
それは『絵が上手い』と『絵が下手』ではなく、『イメージのアウトプットが上手い』と『イメージのアウトプットが下手』の差だったと言えるのです。
じゃあ、どうしたら絵が上手く描けるか。
答えはカンタン。
『練習』です。
ただ、何を練習するか間違えないで下さい。
練習しなければならないのは『イメージのアウトプット』の練習、さらに細かく言えば『イメージを正確にアウトプットするための筆を動かす筋肉の使い方』の練習なのです。
『正確に』というのが大事ですよ。
『正確に』っていうの、超大事ですよ。
大事な事だから2度言いました。ここ試験に出ます。
(ちなみにミッキーだけを練習し続けてミッキーが正確に描けるようになっても、それは『ミッキーの絵が上手く描けるようになった』だけで『絵が上手く描けるようになった』のではありません。注意してください)
『正確な努力』と『間違えた努力』
もう一つ、わかりやすい例を出しましょう。
例えば漢字の書き取りテスト。
小学生の時なんか、新しい漢字を覚える時に何回も書いて覚えますよね。
この時に間違えた字を1000回書いても、
『正しい漢字』を書けるようにはなりません。
『間違えた漢字』が綺麗に書けるようになっただけです。
当然、テストでは点数にならないので「あんなに努力したのに…」と落ち込むでしょう。
改めて字を覚え直そうとしても、最初に覚えた書き方が体に染み付いてしまってなかなか正しく覚えられません。
そしてお約束のように、こう思うのです。
「努力したのに漢字が書けない。ワタシは頭が悪いんだ」って。
早い段階でお手本と見比べて修正していれば、こんなことにはならなかったはずです。
よく
『人生に無駄な努力なんてない』
『努力は裏切らない』
と言う人がいますが、それは違います。
『間違えた努力』は確実に無駄です。
『間違えた努力』は平気で裏切ります。
無駄ではない努力、それこそ僕たちを裏切らない努力とは、
『正確な理論』で考えて『正確な手順』を踏み『正確な時間』をかけ『正確に修正』を重ねた『正確な努力』だけです。
『努力』とは?
『努力』とは、ただ闇雲にやることではありません。
それは理論的に正しいのか。改善点はないか。弱点はないのか。
常に考え、挑戦し、客観的に観察して修正し続けるのが『努力』なのです。
ただ時間をかけて漠然と練習を繰り返し、結果を気にせず修正もしないで「努力した」と言うなら、それは単なる『自己満足』です。
ここで勘違いして欲しくないのですが、決して『自己満足が悪い』というワケではありません。
コンテンツをエンターテイメントとして消費したいなら『自己満足』でも問題ありません。
なぜならエンターテイメントはユーザーが楽しいかどうかが重要なので、自分が満足する『自己満足』はコンテンツの消費の仕方として正しいからです。
ただ、ダンスが上手くなりたいなら。
あなたが今でも上手く踊れない自分にストレスを感じながらも、ダンスが好きで好きで、片想いの中学生みたいにモヤモヤしてるならば。
自分の理想とする未来のために過去と向き合い、自ら間違いを探しだし、それを受け入れてください。
そしてそれを解決し、乗り越え克服してください。
それが『正しい努力』なのです。
まだ出来る事、やるべき事があるのに『ワタシは下手なんだ』『あの人と違って才能がないんだ』と嘆く事ほど無意味な事はありません。
今まで膨大な練習時間を費やした過去を否定するのは簡単ではないでしょう。
たとえ、それが間違ったやり方だったと解っていても。
しかし先に進みたいなら、成長をしたいなら間違えた過去を否定する事も必要なのです。
『ダンスが上手い人』と『ダンスが下手な人』の違いは2つだけ
ダンスに話を戻しましょう。
『ダンスが上手い人』と『ダンスが下手な人』の違いは2つだけ。
1つめの違い
1つめは『アウトプットが上手い』か『アウトプットが下手』の差です。
(ちなみに『ダンスにはセンスが重要』と言う人もいますが、センスの良し悪しはファッション同様に時代や流行、社会背景など複合的な価値観で変動するのでここでは置いておきます)
ステップが覚えられなくて先生を見ながら動いていませんか?
もしくは「おそらくこんな動きだろう」と大まかなイメージで動いていませんか?
まずはお手本をよく観察してください。
- ステップ(足)の幅はどれくらい?
- 着地はつま先、それともカカト?
- リズムは表裏どっち?
- 肩は水平?
- 身体は跳ねてる?安定してる?
- 上半身の軸はどうなってる?
- 重心は前後左右どこ?
- 腕の位置や動かし方は?
- 手のひらは開いてる?閉じてる?
etc.
目を瞑っても対象を正確にイメージ出来るレベルまで観察すれば、あとはアウトプットするだけです。
鏡に映った自分と対象を何度も見比べて、正確に動きましょう。
漢字の書き取りと一緒で、間違えたフォームが一度でも身につくと修正が困難になるので慎重に動いてください(一説では間違えたフォームを修正するのは、新しいフォームをゼロから覚えるのに比べて8倍の時間がかかると言われています)
大丈夫。いきなり上手く出来なくても焦らないでください。
見慣れたミッキーですら上手く描けないんですから、初めて見たステップが踊れないのは当然。僕もそうでした。というか最初は皆んなそうなんです。
だから落ち込まずに何度も修正を重ねて下さい。
慌てなくても、あなたは絶対に上手くなります。レッスンなら僕も側にいるから安心して下さい。
だから一緒に『正確にアウトプットする努力』をしましょう。
2つめの違い
そして2つめは『正確な努力』を楽しめるかどうかの差です。
何度も言うように『正確な努力』は地味でつまらないものです。
派手な必勝法でもなければ、ラクな裏ワザでもありません。
最初は面倒くさいでしょう。もどかしくてイライラするかもしれません。
でもこの地味でつまらない『正確な努力』を楽しめる人こそ、ダンスが上手くなるのです。
最後に
天と地ほどの差にみえる『ダンスが上手い人』と『ダンスが下手な人』の違い。実は微々たるものです。
- アウトプットが上手いかどうか
- そのための『正確な努力』が楽しめるかどうか
たった2つ。
特に『正確な努力』は地味でつまらないけど、とても重要です。
『正確な努力』は無駄になりません。
『正確な努力』はあなたを裏切りません。
これはダンスに限らず、全ての事に通じるでしょう。
そして『正確な努力』をした経験は、確実に『人生の宝物』になります。
あなたがダンスを通じて楽しみながら『人生の宝物』を手に入れてくれたなら、こんなにも嬉しい事はありません。
それが僕のレッスンやYouTubeなら最高ですね。
どうかダンスを、そして人生を楽しんでください!