あけましておめでとうございます。
今年は何の事件やトラブルもなく新年を迎えることが出来ました。
これもひとえに僕の普段の行い、2020年の徳の積み方がハンパなかったからでしょう。
特に夏場は虫とかめっちゃ助けてましたからね。
僕の自宅はマンションの上層階なんですけど、部屋に迷い込んできたカナブンをわざわざエレベーターで1階に降りて近くの茂みに放したりしてましたからね。
「ここまで親切にしたら恩返しに来るかも」なんて思ってたら翌日は2匹迷い込んできましたから。
まさかの友人を連れてのリピート。
ちょっとした常連客ですわ。
ちなみに彼らも公園の茂みに放したので、結果的には徳ポイント2倍デーになったんですけども。
そんな徳を積みまくった2020年だったので、神さまは「今年はポイントバックね」と僕に平穏な2021年を授けてくれたのでしょう。
そんなわけで、トラブルが無いため最近は雑記が更新出来ていませんでした。
今年からは雑記の内容をガラっと変えて、感謝と希望の言葉で埋め尽くし、最後はステキな花言葉で締めていく予定なのでよろしくおねがいします(流れ弾的にトラブルに巻き込まれては泣き寝入りする従来の雑記が好きだった皆様、本当に申し訳ありません。今後は生まれ変わったBanri☆2021をお楽しみください)
そんな穏やかなスタートを切った2021年の深夜。
仕事帰りに考え事しながら歩いていたんですよ。
考え事の内容は
『変化し続ける現代にどう順応していくか』
について。
そして到達した結論は
『思考の柔軟性を高める』
ということでした。
ーーー1月7日に2度目の緊急事態宣言が発出され、私達の生活は再び制限されたものとなりました(正確に言うと宣言前から感染症対策として行動制限されていましたが、宣言発出によってさらに強固で明確なものとなりました)
きっと今後も様々な節目でこのような制限は起きるでしょう。
その度に
「頑張ってるのにコロナのせいで豊かになれない!」
なんて環境や他人に対して不満を抱いていては心がもちません。
withコロナの新時代では環境に応じて柔軟に価値観や考え方を変えらる能力、つまり『柔軟性のある思考能力』こそが必要とされているのです。
例えば、『頑張る』とはなんだろうか。
頑張っても豊かになれないなら頑張り方や頑張る対象を変えてみたらどうだろうか。
勝手に「自分にはこれしかない」なんて思い込んではいないだろうか。
とか。
例えば、『豊かさ』とはなんだろうか。
『みんなと同じ生活』や『制限のない生活』が豊かで『みんなより劣った生活』や『制限のある生活』を貧しいとするなら、『他者との比較』や『したい欲求』こそが豊かになれない原因ではないのだろうか。
ブッダが「執着こそ苦しみの根源である」と説いたように。
とか。
例えば、『幸福』となんだろうか。
本当に『豊かさ=幸福』なのだろうか。
豊かな国でも不幸な人間はいるし、貧しい国でも幸福な人間はいる。
ならば豊かさとは幸福になるための必須条件とは言い切れないのではないか。
豊かさ以外にも幸福になる手段はある。
しかし、それを見つけるのは至難の業だろう。
なぜならそれは正解を誰も知らない問題、それこそ地図にない新大陸を探すようなものだから。
この『ウィズコロナ』という大冒険には固定概念を打ち破り、様々な角度から事象を捉え、這いつくばってでも前に進む『コロンブスの卵』的な発想が必要なのだ。
とか。
この1日ごとに変化するwithコロナ新時代を生き抜くには、目の前に起きた出来事に一喜一憂するのではなく、もっと『思考の柔軟性』を高めて即座に順応していかなければならないーーー
なんて事を考えながら歩いていたんですね。
そしたら西麻布あたりかな。
犬のウ◯チを踏んだんですよ。
左足でグニャって。
凡人なら『ウ◯チを踏む』なんて最悪な出来事ですが、そこは僕ですから。
なんたってBanri☆2021ですから。
柔軟な思考で最悪を幸福に、より細かく言えば「ウ◯チ踏んでラッキー!」と思えるレベルまで昇華してみました。
「新年早々にウ◯チを踏んで運がついたんだ」
「今年は本厄だけどこんなもんで済んでよかったじゃないか」
「西麻布の犬は高級なエサを食べてるからこれも高級なウ◯チなんだ。やったぜ」
なんて感じでね。
結論から言うと
余裕でムリ
でした。
どんなに頑張っても『ウ◯チ踏んでラッキー!』にはなりませんでした。
つーかならねぇよ普通。
近くの公園の水道で靴裏を流しては砂利をこすりつけ、落ちていた枝で靴底の溝をこじってました。深夜0時に。半泣きで。
「飼い主がトイレで大をする時に便座を下ろし忘れてお尻が便器にハマりますように」
「飼い主がコンビニでおでんと雑誌を買ったら同じビニール袋に入れられておでんの蒸気で雑誌がシワシワにふやけますように」
「飼い主が歌いながら自転車に乗っていたら後ろから追い抜かれて急に小声になりますように」
「飼い主が『どこからでも切れます』の袋がどこからも切れませんように」
と飼い主に対して呪詛の言葉を投げかけながら。
でもこの最悪な出来事にも必ず意味があるんですよね。
多分、神様が言いたかったのは2つなんです。
1つ目は
「足元に注意しろよ」
てこと。
先や上を見るのも大事だけど、まずは足元をしっかり見つめて固めないと痛い目を見るぞってことです。
思考の柔軟性とかいうのはそれが出来てからねって。
2つ目は
「雑記サボってんじゃねぇぞ」
ってこと。
「最近ネタがないから雑記書けないんだよね」
と言い訳してる僕に援護射撃をしてくれたんでしょう。
めっちゃ僕に命中してるけど。
そんなこんなで。
新年早々アレなんですけど、やはり僕の雑記は感謝も希望の言葉も出てきませんでした。
むしろ呪詛の言葉がメインでしたね。
期待していた皆さんには本当に申し訳ありません。
そして僕の泣き寝入りが好きだった皆さん。ただいま。
あと今後カナブンはベランダからぶん投げていきます。
こんな僕と雑記ですが、本年もよろしくお願いいたします。
今日の花言葉
【アザミ】
意味:報復