「そういえば万里さん。Aさんをご存知ですか?」
昨日のレッスン後、事務所で業務報告書を書いていたらスタッフに声をかけられました。
僕もインストラクター歴が長いんでね。この瞬間に予感がしました。
あぁクレームだな、と。
「Aさん?わかるよ。最近僕のレッスンに参加し始めた男性だよね」
この時、僕の声は震えていたと思います。目は完全に泳いでいました。
「そうです。先週、Aさんの奥さんがスタジオの外からレッスンを観ていたんですけど…」
この瞬間に僕の予感は確信に変わりました。
あぁ家族からのクレームだな、と。
ペンを握る手は震え、目なんか泳ぎ過ぎて完全に遠泳でした。
「奥さん、『こんな楽しそうな旦那を見たこと無い!』と喜んでいましたよ」
「(クレームじゃないのか…)」
スタッフの報告を聞いた途端、心が軽くなり饒舌になりました。
「あぁ、それは良かった!Aさんは確実にダンスにハマるよ。このクラブの会員が、そしてダンス人口が増えたんだ。嬉しいね!」
「なんでAさんはダンスやめないんですか?」
「うん。初心者で上手く踊れなくても楽しいっていう人は絶対にダンスをやめないんだ。
ダンスのような習い事を始めると、どうしても成長しなくちゃいけないと思ってしまうんだ。『上手く踊れないと楽しくない』『上手く踊れないと感動してもらえない』という風にね。
それも事実だし成長も楽しみの一つではある。
だけど、そのスタンスでは上達しなかった時や成長が止まった時にダンスをやめてしまうんだ。
上手く踊れなくても楽しいなら、そのリスクは限りなく低くなるんだよ」
「なるほど。でも、やっぱり上手くなりたいですよね」
「確かにスポーツや芸術は、やるからには上達したいと思うよね。
指導者の多くも参加者を成長させようと思ってる。
でも、スポーツや芸術が人生を豊かにするためにあるのだとしたら、上手くなくても、成長しなくても楽しめるはずなんだよ。『成長しない人の人生は貧しいまま』なんておかしいじゃん。
それにカラオケでも、技術的なことを何も知らなくても歌うだけで楽しいでしょ?
だから指導者は、成長は習い事の『楽しみの一つ』だけど、同時に『楽しみの一つ』でしか無いということを忘れちゃいけないんだ。
スポーツや芸術には沢山の楽しみ方があるから、参加者に様々な楽しみ方を提示し、選択させることが一番大事なんだよ。
成長だけを習い事のゴールに設定するのは、多くの楽しみを無視している事になるん…」
話していると突然、スタッフの姿がグニャリと歪み、視界がぼやけ始めました。
次に聞こえたのは「万里さん!どうしたんですか!?」とスタッフの慌てる声でした。
気がついたら泣いていたんです。涙がボロボロ溢れていました。無自覚だったんですけど。
「あれ?大丈夫!いやー、クレームかと思っていたからさ。クビにならないとわかったら安心して泣けてきちゃった。シャワー浴びてから報告書の続き書くわ」
スタッフ達が笑う中、更衣室で熱いシャワーを浴びながら考えました。
ーーー涙がこぼれたのは、嬉しかったからだ。
でもそれはダンス人口が増えたからではなく、自分のやっていることで誰かを幸せにできたのが嬉しかったから。ものすごく個人的な理由で泣いたんだ。
ダンスで世界を幸せにするとか、カルチャーを広めるとか、有名になるとか、実はそんなに興味が無い。
そもそもそんな目標は漠然としすぎて想像もつかない。
僕はただ、身近な人を少しでも幸せにしたいだけで、それが僕にしか出来ないことなら嬉しいなって。
僕が踊る理由はそれだけなんだ。
それがたまたまダンスだっただけなんだ。
だけどダンスに奇跡を起こす魔法のような力は、ない。
ダンスで戦争が終結することも、ウィルスの蔓延を抑えることも、怪我や病気が治ることもない。
これはものすごく残酷な事実なんだ。
だけど『Aさんは僕のダンスを楽しんで、それを見た奥さんは喜んだ』というのも、まぎれもない事実。
僕のダンスは世界中を幸せには出来ない。でも、世界の片隅にあるAさん一家を、ほんの少しだけ幸せにする事が出来たんだ。
その事実がとても嬉しかった。
それが嬉しくて涙が溢れたんだーーー
シャワーから上がって報告書の続きを書き、最後にこの一文を加えました。
『みんな楽しそうに踊れていました。来週はもっと楽しませたいと思います』
いつもと似たような内容。
だけど報告書に書いた文字は少しだけ、滲んでいました。