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『100万回生きたねこ』のあらすじと感想。そして解釈:猫が生き返らなかった理由

ハウスダンスインストラクター万里の日記
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100万回生きたねこ

って絵本ありますよね。

佐野洋子さんの名作絵本。

僕は小さい頃から何度もこの本を読み、その度に毎回違う感想を持ち、そして毎回モヤモヤしていました。

しかし30年以上のモヤモヤが、この日ついに晴れたんです。

今回のブログでは過去の感想を交え、僕なりの『100万回生きたねこ』の解釈をお話ししたいと思います。

絵本『100万回生きたねこ』のあらすじ

かなり有名な名作絵本なので皆さんもストーリーをご存知だと思いますが、確認のため大まかなあらすじをご紹介します。

絵本の主人公となるオス猫は100万回も生死を繰り返す不思議な猫。

オス猫は100万年前から100万人の飼い猫になりますが、最後は必ず死にます。

ある時、誰にも飼われずノラ猫になったオス猫はキレイなメスの白猫に出会い恋をします。

最初白猫はオス猫に興味を示しませんでしたが、オス猫は白猫に恋をし、2匹は結ばれます。

やがて子猫達が生まれ、成長し、2匹の元から巣立ち、オス猫とメス猫は再び2匹だけになりました。

ある日メス猫は老衰で亡くなりオス猫はワンワン泣きました。

そしてメス猫の亡き骸の横でオス猫もその命を終えます。

オス猫は二度と生きかえりませんでした。

初めて読んだ時の感想

初めて読んだのは確か5歳くらいの時。

友達の家で読んだのですが僕の感想は

「なんだこのオチ」

でした。

だって絵本って少なからず教訓めいた事を含んでいるのに、この『100万回生きたねこ』にはそれが何なのか解らなかったんですよ。

今でも鮮明に覚えているんですが、2回読み直しましたからね。

それでも子供の僕にはおはなしの真意が解らず「不思議な猫の不思議な絵本」程度にしか感じませんでした。

「なんだこのオチ。だけどハッピーエンドじゃない事だけはわかる。『こぐまちゃん』や『だるまちゃん』の方が面白いや」という感想でモヤモヤしたんです。

2回目に読んだ時の感想

2回目にこの絵本を読んだのは16歳、高校2年の時でした。

図書館で試験勉強をしていて息抜きに何気なく手に取って読んだんです。

当時の僕は人生初の失恋で相当ヘコんでいました。

だからこの絵本を読んだ時

「あぁ、オス猫はメス猫が死んだから生き返らなかったんだ。

愛を失う事が本当の『死』なんだな。

愛する者のいない世界なんて生きてる意味ないもんね。

わかるわー」

と妙に共感し、

「このおはなしは切ないラブストーリーなんだ。

失恋や別れを経験した大人にしか解らない大人向けの絵本なんだ」

という感想になりました。

今考えれば高校二年生なんてまだまだ子供なんですけどね。

だけど、当時の僕にはそれでも『なぜ最後にオス猫も死ななければいけなかったのか』が納得できなかったんです。

だって最愛の白猫をなくし自らも命が終わるなんて可哀想じゃないですか。

「絵本なんだからハッピーエンドにすればいいのに」

と別れたあの子を思い出しながらモヤモヤしたんです。

3回目に読んだ時の感想

3回目に読んだのは21歳、大学四年生の時。

たまたま入った下北沢のカフェに置いてあったので手に取りコーヒーが来るまで読んでたんです。

その時に初めて『今までの飼い主達はオス猫が死んだ時とても悲しんだという事に気がつきました。

その事実を踏まえた上で僕の感想は

「このオス猫は愛する白猫を失った時に初めて、自分が死んだ時に涙を流した100万人の元飼い主達の悲しみの深さを理解したんだ。

こんな悲しみはもう誰にも味あわせたくないし、もう自分も味わいたくない。

だからオス猫は二度と生き返らなかったんだ。

愛はこの世で最も素晴らしく、そして最も残酷なんだ」

と納得し

「このおはなしは愛の素晴らしさと失うことの恐怖を書いたモノなんだ。

死は必ず訪れる。

それは自分だけでなく愛する相手にも必ず。

そしてほとんどの場合、死が訪れた時にやっと生の素晴らしさと価値を理解するんだ。

いわゆるメメント・モリ(死を忘るるなかれ)をテーマにしているんだ。

深いなぁ」

という感想になりました。

だけどやはり、なぜ愛する素晴らしさよりも愛を失った悲しみを表現したのかが僕には納得いきませんでした。

「逆ならハッピーエンドになるのに」

と運ばれてきたコーヒーを飲みながらモヤモヤしたんです。

最近読んだ時の感想

そして4回目に読んだのがこないだの病院の待合室。

3回目に読んでから20年近く経っているんですね。

待ち時間もたっぷりあったのでゆっくりと味わうように読みました。

今回改めて気がついた事実は2つ。

1つ目はこのオス猫、今までの飼い主全員、さらに言うと飼われていた環境も何一つ好きじゃなかったんですよ。

そして2つ目は、このオス猫は白猫に出会うまで唯一好きだったのは自分だけだったんです。

今までこんな重要な事なんで見落としていたのか自分でも謎なんですが、コイツとんでもねぇ自己中な猫だったんですよ。

そしてノラ猫になった途端、他の猫達に「俺は100万回も死んだんだぜ」と今までの人生の自慢し、メス猫達もみんなこのオス猫と結婚したくてプレゼントしまくるんですね。

「あれ。こいつダメなヤツじゃん」

そう思いました。

そしていつも通りに白猫と出会い、恋に落ち、子供を授かり、そして死にます。

読み終えたあとに感じた感想は今までで一番長いものでした。

「オス猫は100万回も生きたんじゃない。100万回も死んだんだ。

彼の生きた100万年は味気ないものだったに違いない。

なぜなら多くの飼い主たちから愛を与えられたが、彼が愛を与えたことは一度もなかったのだから。

心から愛したことがないなら心から喜んだことも悲しんだことも無いだろう。

なんてつまらない無味乾燥な100万年なんだ。

これはもう呪いと言ってもいいんじゃないか。

『愛することを知るまでは安らかに死ねない』という残酷な呪い。

そして常に愛されることを当然だと思っていた彼は自分に見向きもしない白猫に出会い、ついに愛することを知った。

初めて失いたくない存在を知った。

そして初めて

愛を失う悲しみ

を知った。

100万年の中で一番暖かく、そしてカラフルで輝いた人生を過ごした猫は二度と生き返らなかった。

やっと長い呪いから開放されたんだ」

だけど僕の胸は切なさでいっぱいになりモヤモヤしました。

だって100万年も生きていてやっと愛の素晴らしさを、人生の楽しさを知ったのにもう生き返られないなんて。

「やっぱりこの絵本はハッピーエンドじゃない」

そう思って絵本を閉じた、その時でした。

涙がこぼれたんです。

僕の新しい解釈

『100万回生きたねこ』の背表紙って知ってますか?

オス猫と白猫が仲良く寄り添ってる2匹の背中が小さく描かれているんです。

【100万回生きたねこ 背表紙】で出てくるので後で検索してみてください。

真っ白い背景の中、草原の上でオス猫は白猫の肩に腕を回しているんですが、これが目に入ったときに涙がこぼれたんですよ。

だって、僕のイメージする天国ってこんな感じだったから。

辺りは雲で真っ白で足元は柔らかい草原。

最愛の人がそこに待っていてくれて、そしてずっと側にいてくれる。

だってそこには二人を分かつ『死』がないのだからーー

そしてこの時、僕の中に新しい感想が生まれました。

「あぁ、オス猫。死んだんじゃなくて白猫に会いに行ったんだ。

最後に生き返らなかった理由がやっとわかった。

『生き返れなかった』んじゃなくて『生き返る必要がなかった』からだ。

だって白猫に会えたから。

そこが彼の望んだ居場所だから。

白猫に出会って本当の愛を知るまで、オス猫は何度も何度も何度も死んで生き返ったんだ。

100万回も繰り返した人生は呪いなんかじゃなかった。

全てはこの瞬間に通じていたんだ。

そして最後、2匹は一緒になった。

この瞬間は永遠なんだ。

こんなに最高のハッピーエンドは他にないじゃないか」

幸せな気持ちで胸が満たされた感想が生まれた僕は、今までのようにモヤモヤなんかしなかったんです。

最後に

これが僕の感想と解釈でした。

しかしここまで沢山の感想を書いてきましたが、この絵本には正しい解釈は無いかもしれません。

『100万回生きたねこ』は読む人の年齢や心境に合わせて解釈が変わる不思議な絵本だからです。

だから、『今の僕』にはこれが正しい解釈なんです。

いつか数年後にこの絵本を再び読んだらまた違う感想を言うでしょう。

誰かに読み聞かせしたときに初めて気がつくこともあるでしょう。

僕がこの絵本を開く度にオス猫は生き返り、死に、真実の愛を知り、悲しみ、そして死にます。

その度に僕は違う事を感じ、憤り、感動し、泣きます。

100万回読めば100万通りの解釈がある。

それが名作絵本『100万回生きたねこ』なのです。

ほんといいお話なので、子供だけでなく大人もぜひ読んでください。

特に人生の節目で読むと毎回違う感動があるはずです。

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