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ネコと英語と外国人、あと僕。

可愛いネコの写真
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「今年は英語でも勉強しようかな」
なんて思う出来事があったので、このブログで皆さんに報告をします。

僕、英語が超苦手なクセに外国人から超話しかけられるんですよ。

たぶん全身から『良い人オーラ』が溢れ出てるからなんですけどね。

まず最初に、僕がどれくらい外国人に話しかけられるかを皆さんに理解してもらうために最近あった体験談からお話ししようと思います。

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あれは去年の暮れのこと。

ウチの近所(表参道)は年末になると外国人観光客がメチャクチャ増えるので、この時期の散歩は彼らを避けるように裏路地を歩いていたのですが、あまりにマイナーな路地を歩いていたため地元民であるにも関わらず道に迷ってしまいました。

外国人どころか人影すら見えない裏路地を僕が半泣きで徘徊していたら、同じように迷子で半泣きの外国人カップルに遭遇し、彼らは僕を見るなり「このお店に行きたい(英語)」とスマホの地図を見せてきたんです。

こんなの絶対に二重遭難確実じゃないですか。

こっちだって半泣きだったんだから。

「僕も迷子です(日本語)」

と答えたのですが全く通じず、咄嗟に英語が頭に浮かび

「ミートゥー(私もです)」

と言ったら今度は目的地が一緒だと思われたらしく2人がメッチャ笑顔になったのでいよいよ断れない状況になってしまい、結局この日は散歩を諦めてカップルを目的のお店まで直接連れて行くことになったのでした。

✳︎

この体験談は数あるうちのほんの一例なのですが、とにかく僕は英語が苦手なのに外国人から声をかけられまくる体質なのです。

そんなわけで裏路地を歩いていても外国人に声をかけられるならもう家でジっとしてようと、最近は自宅で作業ばかりしていたんですよ。

そしたら今日、僕のインスタのフォロワーさんからメールが届いて。

日本語だったので返信したんですけど、どうやら相手は外国人(アメリカ)だったんですね。

外国人が翻訳アプリ使ってまで僕にメール送ってきてたんです。

マジか、と。

自宅にいても向こうから来るのか、と。

ついに僕の『良い人オーラ』が溢れ過ぎて海を越えたか、と。

オーラの蛇口がバカになってんじゃねぇか、と。

一瞬でいろんな考えが頭を巡ったあと

「逃げられない、な」

そう覚悟を決めて彼(仮にMr.Kと呼びましょう)とメールのやりとりをすることにしました。

Mr.Kはすごく紳士的な男性で、メール内容はダンスでも音楽でもデザインでもなく『ネコ』についてでした。

彼も大のネコ好きで、可愛いモッフモフの白ネコを飼っていたのです。

僕のインスタのネコ(大河)が気になってメールしてくれたんですね。

こちらが日本語で返して相手に翻訳アプリ使わせるのも手間だろうから英語で返信していたのですが、英語って日本語特有の言い回しができないんですよ。

謙虚に表現したり謙遜しても外国人には伝わらないから、ストレートに表現しないといけないんです。

「はじめまして。君のネコの名前は?」

「彼女はTaigaって言うんだ。すごいカワイイんだぜ」

「イイ名前だね。僕のは〇〇って言うんだ。□□の品種なんだけどTaigaは?」

「ありがとう。○○もイイ名前だしカワイイよ。大河は雑種なんだ。今では大切な家族だけどノラ猫だったんだよ。」

「イイね。年齢は?○○は4歳なんだよ」

「大河はもう高齢なんだ。でも若い時より今の方がキュートなんだ。ずっとね」

「わかるよ。僕もそう思うよ」

「ありがとう!」

そんな感じでまたメールする約束をしてMr.Kとの他愛もないやりとりが終わったあと、胸の奥がギュッと苦しくなりました。

ーー大河は今年で15歳。

ネコの平均寿命を越えています。

僕が大河と過ごせるのは長くてもあと数年、もしかしたらあと数ヶ月かもしれません。

でもMr.Kのネコはまだ4歳。

彼とネコに何事もなければ10年以上は一緒にいられる。

それがちょっと、本当にちょっとだけ、彼らが羨ましかったんです。

彼らに残された時間の長さにちょっと、本当にちょっとだけ、嫉妬したんです。

一昨年、大河が腎臓病になってから散々泣いて悩んだ末に

「いつ終わるかわからない命を今から悲しむより、未練が残らないように今生きてることを、一緒にいられることを全力で喜ぼう」

と自分に言い聞かせ、なんとか割り切ることができました。

大河と冷たい雨の中で出会った喜びも、

パーカーに入れて持ち帰った時の温もりも、

一緒に過ごした楽しさも、

パソコンにコーヒーをかけられた衝撃も、

夏の早朝に枕元にセミを咥えてきた驚きも、

病気で苦しんでるのに何もできなかったもどかしさも、

どのエサなら食べてくれるか悩んだことも、

点滴を背中に刺した針の感触も、

いつ訪れるかわからない別れに怯えた日々も、

…そして最期の日に僕ら家族が必ず流す大粒の涙も、

その全てが大河からの贈り物なんだから、僕はその全てから目を背けず余すとこなく味わい尽くしてやろう。

大河と過ごす残された時間には悔いも後悔も残らないようにしよう。

そうして僕が満足すれば、きっと大河を笑顔で送り出すことが出来るはずなんだから。

そう割り切ったんです。

割り切ったんだけど…

…だけどやっぱり、もっと一緒に居たい。

時間が全然足りない。

何やっても悔いが残るし後悔もする、きっと。

未練タラタラだよ、絶対。

大河と別れる時に笑顔になんかなれないよ。

というわけで。

この悔いも後悔も未練も全部ひっくるめてやっぱり大河からの贈り物だと思うんで、悔いて後悔して未練タラタラで

「もっと一緒にいたかったー!」

と大泣きするのを覚悟した上で、今後も大河と過ごせる時間を味わい尽くしてやろうと決心しました。

そしていつか大河と別れることになり、その『別れ』の意義の全てを受け入れられた時にMr.Kにこの事や葛藤を英語で伝えられるようにしたいのです。

そうすれば遠い将来、彼が最愛のネコと別れる時に味わう心が押しつぶされそうな悲しみの重圧を、ほんの少しでも軽くしてあげられるかもしれないからね。

それでも彼が「とても悲しいんだ」と深い悲しみの沼にとらわれてしまったなら、その時こそ正しい使い方でストレートに

「ミートゥ(僕もだよ)」

と言ってあげたいのです。

だから英語を勉強するのも悪くないかもな、なんて思ったのでした。

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