傘を電車内に忘れたら僕が長年悩んでた「マイルールとのちょうど良い距離感」が掴めたで、今日はみなさんと共有したいと思います。
最近の天気って本当にコロコロ変わるから傘忘れちゃいますよね。
こないだなんて「朝傘を持って出る」→「電車に忘れる」→「降りた駅のコンビニで傘を買う」→「コンビニ出たら雨やんでる」→「途中で寄った自販機に傘を忘れる」→「雨が降り始める」って最悪のシナリオでしたからね。
これじゃ職業:傘を放流する人ですよ。
しかも傘を放流しても僕の元に帰ってこねぇんですけどね。
まぁそんなこんなで、今朝も家を出る時に「雨降りそうだなぁ」って傘持っていったんです。
僕はダンサーという職業柄、とにかく体調管理に気をつけているので絶対雨には濡れたくないんですよ。
ここ20年はとにかく「雨に濡れる=この世の終わり」の覚悟のもと「絶対に雨に濡れてはいけない」というマイルールで生きてきました。
僕にとって雨とはそれだけ注意すべき存在であり、傘はそんな僕を守ってくれる心強い味方なのです。
そんな味方(傘)を見事電車内に忘れたんですけどね。
傘を持ってないことに駅を出てから気がついたんですが、時間がないので仕方なくスタジオまで雨の中を走ってたらなんか心地よかったんです。
走りながら「雨に濡れるのはイヤだったけど、別に濡れても大した事無いっていうかむしろなんか気分イイや。これって今まで僕を束縛していた『雨に濡れてはいけない』というマイルールから解放されたからかもしれないな」と考えました。
最終的に「マイルールへの執着を一度でも手放すとめっちゃ気が楽で、これくらいの距離感がベストだ」という結論に達しました。
ブッダも「執着こそが生きづらさの原因だ」と説いてましたが、僕も同意見です。
ーー少し話が逸れますが、修行の中には「滝行」と呼ばれる滝に打たれて煩悩を払ったり心の静寂を手に入れるモノがあるんですが、僕は雨でもそれが、「雨行」が可能だったので悟るのも時間の問題だなと確信しました。
ーーそれでは話を戻しましょう。
よく「大人も泥遊びでストレス解消できる」と言われますが、アレも泥の温度や触り心地といった様々な理由があるんでしょうが「泥は汚れるから触ってはいけない」というルールから解放されたからっていうのが大きいと思うんです。
露天風呂が気持ち良いのも、「屋外では服を着なければいけない」というルールから解放されたからでしょうね。
「ルール」とは「それを守らなきゃいけないという執着」です。
「雨の日は傘をささなきゃいけない」
「泥は汚れるから触っちゃいけない」
「屋外では服を着なきゃいけない」
といった、ルールを守らなきゃいけないという執着。
これらのルールを破った時、「守らなきゃいけないという執着心」を捨てた時に僕たちは見えない鎖から解放され、なんとも言えない幸せな気分になれるんです(しかし『屋外では服を着なきゃいけない』という例においては、人前でこのルールを破って幸せになる人達が春先に多くなるけどそれは違う種類の解放感と快楽であり彼らが捨てたのは執着心ではなく羞恥心っつーかそれって犯罪だからね)
「万里さんは生き方がロックだなぁ」と思うかもしれませんが、僕はべつに「何でもかんでもルールを破れ!」と扇動してるわけじゃありません。
僕が言いたいのは、マイルールを破る事で誰にも(当然あなた自身にも)迷惑や被害が出ないなら、たまにはあえて破る(執着心を捨てる)ってのもアリって事です。
僕たちは社会的なルールの他に、自ら作り上げた無数のマイルールに縛られ、そしてその価値観に執着して生きています。
「深夜にポテチ食べちゃいけない」
「毎日ご飯をちゃんと作らなきゃいけない」
「頑張らなきゃいけない」
「弱音を吐いちゃいけない」
「泣いちゃいけない」
みたいなね。
それらのマイルールや価値観を守ることは、社会という「超巨大集団生活」をするうえで自分に与えられた役割を果たすためにとても重要です。
責任感のある人ほどマイルールに厳しくて何が何でも守り抜こうとします。
でもそれだと結構シンドくなるんですよ実際。
そしてシンドくなってマイルールが守れなくなり始めると「自分てダメだなぁ」と思ってどんどん自分が嫌いになるんです。
「自分をもっと好きになるためのダンス」というコンセプトでインストラクターをしている僕としては、自分を嫌いになるのは絶対にダメです。
僕も経験あるのですが、本当に自分を嫌いな時って心に余裕がなくなってるから誰にも敬意を払えないし、誰にも感謝できないし、誰も好きになれないんですよね。
これって超孤独ですごく寂しい状態なので、自分を嫌いになるのは絶対に避けなきゃいけないことなんです。
だからたまには
深夜にポテチ食べてみたり
今日はご飯作らなかったり
頑張らなかったり
弱音を吐いたり
泣いてみたり
してもいいんだと思います。
(だだしこれらを習慣化するとただの自制が効かない人になるので「たまには」ってノリでいきましょう)
たまにマイルールを破って「なんだ、こんなもんなのか」って感じて、今までしがみついていたマイルールや価値観への執着心を一度手放した時、あなたは不思議な解放感と快楽を感じるはずです。
きっとそれこそが「自由」というものなのかもしれませんね。
だから。
どんなに体調悪くても、シンドくても辛くてもマイルールを必死に守るのではなく「やろうと思えばマイルールを守れるけど今日は破るわ、あえて」もしくは「守るも守らないも自由なんだけど、今はこのルールを守ってみる」くらいの距離感でマイルールと付き合ってみてください。
そうすると心に余裕が生まれるから、いろんな人に敬意を払えるし、感謝できるし、好きになれるんです。
自分を取り巻く世界を好きになれると、自分のことももっと好きになれるんです。
僕はこれくらいがマイルールとのちょうどいい距離感だと思うのです。
雨の日に傘忘れても「あー…まぁ、いっか」と言って雨の中を走る感じで。
最初はマイルールを破るの躊躇するけど、きっと思いのほか心地よかったりするので。
なんか自分を嫌いになりそうな時や、自分が自分を許せない時、シンドくなりそうな時は試してみてくださいね。