「どこが『幸福な』なんだろう」

カフェでコーヒーを待っている間、そう呟いて一冊の本を手に取り開きました。

タイトルは『幸福な王子』。

金や宝石で豪華に装飾された王子の像と、一羽のツバメの有名な物語です。

作者はアイルランド出身のオスカー・ワイルド。代表作『サロメ』などで知られる人物です。

『幸福な王子』を知らない人、忘れてしまった人のために、簡単なあらすじを書きますね。

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むかしむかし、ある街に『幸福な王子』と呼ばれる像が立っていました。

サファイアの目にルビーの剣、全身は金箔で覆われ、心臓は鉛製。

若くして死んだ王子を記念して建てられたもので、その美しい姿は街の自慢であり、人々から愛されていました。

しかし、王子の像はこの街の貧しく不幸な人々の生活をいつも悲しんでいました。

ある夜、南へ渡る途中のツバメが王子の肩に止まりました。

王子はツバメに、自分の身体に使われている宝石や金箔を困っている人に届けてほしいと頼みます。

ツバメは王子に言われた通り、剣のルビーを貧しい母子に、両目のサファイアをそれぞれ飢えた若い作家と幼いマッチ売りの少女に、そして身体中の金箔を他の貧しい人々に一枚ずつ届けました。

王子のお願いを何度も聞くうちにツバメは南に渡ることをやめ、目の見えなくなった王子の側に残る覚悟を決めます。

やがて冬が訪れ、装飾品を失った王子はみすぼらしい姿になり、ツバメも寒さに弱っていきました。

ツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり、目の見えない王子にキスをし、彼の足元に落ちてついに力尽きました。

その瞬間、王子の鉛の心臓は真っ二つに割れてしまったのです。

誰からも見向きもされなくなったみすぼらしい王子の像は、心無い市会議員たちによって「不要なものだ」と溶鉱炉で溶かされます。けれども、なぜか鉛の心臓だけは溶けません。

「溶けないなら捨てるしかない」と王子の心臓はツバメの死骸と一緒にゴミ溜めに投げ捨てられてしまいました。

しかし王子の心臓とツバメは天使により『最も尊いもの』として神の元に運ばれ、二人は楽園で永遠に幸せになりました。

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初めて『幸福な王子』を読んだのは五歳くらい。家の本棚にあった絵本を何気なく開き、気がつけば涙で顔をぐしゃぐしゃにしていました。

その時は『報われない自己犠牲』の物語だと感じました。簡単に言えば切ないバッドエンド。どうしてこれを『幸福な』と呼ぶのか全く理解できませんでした。

だって、王子もツバメも人々のために自分を捧げたのに、最後はゴミ箱に捨てられてしまうんですよ?

まだ『善行は必ず報われる』と信じていた子供の僕は、二人が可哀想で可哀想で、どうしてこんな結末になるのか納得できませんでした。

どれくらい納得いかなかったかというと、最後のボロボロの王子像のシーンにクレヨンで色を塗るほどです。

剣のサファイアは赤色、両目のルビーは青色、そして全身の金箔は黄色のクレヨンで塗りつぶしました。

気づけば、物語の最初よりもずっと豪華できらびやかな王子像が出来上がっていました。

さらに背中にはロケットも描き足しました。ツバメと一緒に暖かい南の国に行って欲しかったから。

そして王子の肩に止まるツバメは黒で大きく描き直して、その上に

『みんなが宝石を返しにきました。めでたし、めでたし』

と書き足しました。

強引でもいいからハッピーエンドへ塗り替えないと、とてもやりきれなかったんです。

だって、この物語のタイトルには『幸福な』とついているんだから。

だったら最後の言葉は、やっぱり「めでたし、めでたし」じゃなきゃいけないと思ったんです。

幼い万里少年が泣きながらクレヨンで結末を書き換え、絵本を押入れの奥に仕舞い込み、翌日に親に見つかり「絵本に落書きするな」と怒られて二度目の号泣―――なんてことがもう数十年前のこと。

大人になってこの物語を読み返すと、少し違った景色が見えてきました。

子供の頃には『報われない自己犠牲』に見えた王子とツバメの行為が、大人になった今では、彼らなりの『幸福のかたち』だったのかもしれないと思えてきたのです。

王子は身体を捧げたところで街から貧困を無くすことはできず、むしろ人々に尽くしたその身体を「不要」と無残に捨てられました。

ツバメもまた、王子のそばにいたい一心で献身を重ね、最後には力尽きてしまいました。

彼らの愛は、目に見える成果としては何一つ残りませんでした。

『自分を削ってでも相手のために生きる』という行為は、傍から見れば無力で、無意味にすら見えるかもしれません。

事実、子供の僕にはそう見えました。

だけど、大人になって読み返して気がついたんです。

彼らは「現実を変えよう」とか、「結果を残そう」とか、「報われよう」なんて考えていなかったことに。

ただ、そうしたかっただけなんですよね。

王子は、目の前に困っている人がいるから助けた。

ツバメは、王子のそばにいたいから手伝った。

それだけのこと。

二人は、自分の心に従って選び、決断しただけだったのです。

『誰かを愛し、想い、そして行動した』という事実。

幸福とは、結果や形に残るものではなく、『どう生きたか』に宿るのだとすれば、彼らが愛に突き動かされていたその瞬間こそ幸福だったのではないでしょうか。

報われなくても、理解されなくても、誰かのために生きることには大きな意味があるのだから。

そう考えると、人々のために身を削った王子も、王子のために命を捧げたツバメも、とても幸せだったのだと思います。

そして―――

今考えれば、泣きながら絵本の結末をクレヨンで塗り替えた幼い僕もまた、幸せだったのかもしれません。

あの時の僕は二人を放っておけなくて、どうしても救いたくて衝動的にクレヨンを走らせました。

結果的にはその場しのぎの偽りのハッピーエンドしか思いつかなかったし、実際には王子もツバメも救えませんでした。

現実を変えられなかった僕の行為は無力で無意味に見えるかもしれません。

でも、泣きながら拙い手つきで必死に色を塗っているあいだ、胸の奥が不思議と温かかったことを今でも覚えているのです。

だからあの時の僕も、やっぱり王子やツバメと同じように幸福だったんだと思います。

そう思うと、幼い日の僕もようやく救われた気がしました。

あぁ、やっと『幸福な王子』の本物のハッピーエンドにたどり着けた。

『幸福な』と題された物語なのだから、やっぱり結末はこの言葉なのでしょう。

「めでたし、めでたし」

そう呟いて本を閉じると、ちょうどコーヒーが運ばれてきました。