今の話 PR

思い出の部屋

ハウスダンスインストラクター万里の日記
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

12月30日。

あなたは20代後半の女性です。

六畳一間の部屋でコタツに入りながら1人でテレビを眺めています。

壁の時計に目をやると午後11時40分。

軽く深呼吸したあと、コタツの上にある小さな鏡で髪型を入念にチェックします。

いつもは簡単に済ますメイクですがこの日は念入りにメイクをして、節約のため普段は行かない美容院で髪も整えてきました。

「あと20分で、彼に会える」

鏡を見ながら、心の中で呟きます。

あなたは美人で言い寄ってくる男性も沢山いましたが、その誘いを全て断り、恋愛もせずに朝から晩まで休む間も無く働き、ギリギリの節約をしてお金を貯めています。

それは、この『思い出の部屋』を借りるためです。

_____

『思い出の部屋』とは、死別した『思い出の存在』と24時間だけ過ごせる特別な部屋のこと。

あなたは5年前に死別した恋人に会うために、必死にお金を貯めて毎年この部屋を借りているのです。

部屋の利用にはいくつか規約があります。

規約1:『部屋』の使用制限は1年に1回のみ。
規約2:『部屋』を使用することは決して他人に言ってはならない。
規約3:『部屋』の使用料は『1年間その人が必死に働いて貯めた金額』と同額である。
規約4:『思い出の存在』がいる間は『部屋』で声を出すことが禁止されている。
規約5:『思い出の存在』に話すことも触ることも禁止されている。

この規約さえ守れば『思い出の存在』と1日を過ごすことができますが、破れば二度と『思い出の部屋』の利用ができなくなります。

部屋はいつでも借りることが出来て、多くの利用者は記念日やクリスマスを選びますが、あなたが借りるのは決まって12月31日でした。

毎回あなたは30日の午後11時30分から部屋に入り、テレビを眺めながら彼を待ちます。

午前0時になると彼はペルシャ猫と共に部屋に入ってききます。

この猫はあなたが子供の頃から一緒に過ごした最愛のペットで、亡くなった時は声を出して泣きました。

思い出の部屋では人間だけでなく、愛したペットも元気な姿で出てきます。

そして当然、動物にも触ってはいけません。

六畳一間に2人と1匹。

この狭い空間に一言も会話はなくテレビの笑い声だけが響きます。

だけどもそれは、あなたが夢にまで見た『思い出の時間』なのです。

やがてテレビでは紅白歌合戦が始まり、主将対決になり、決着がつき、ゆく年くる年が流れて除夜の鐘が鳴り始める頃、彼はコタツから立ち上がり、無言で部屋を出て行きます。

猫も後をついて出て行きます。

あなたが彼を追いかけることは出来ません。

コタツに入ったままうつむき、涙と嗚咽をこらえて我慢するだけ。

テレビのキャスターが「あけましておめでとうございます!」と元気に新年の挨拶をしたのと同時に部屋のブザーが鳴り

「本日のご利用ありがとうございました。10分以内に退室をお願いいたします。またのご利用、スタッフ一同こころよりお待ちしています」

と壁に設置されたスピーカーから女性の声でアナウンスが流れます。

あなたはそのアナウンスを聞いた瞬間に涙が溢れ、両手で顔を覆うようにして声を出して泣きます。

子供のように泣きじゃくりながら帰り支度をして部屋を出るのです。

そしてまた1年間『思い出の部屋』のために無心で働いてお金を貯める。

それが、彼が亡くなってからのあなたの『12月31日の過ごし方』でした。

_____

今年も12月31日に部屋の予約を取り、今も彼を待っています。

時計の針が午前0時を指し、日付が変わると同時に彼が猫と入ってきました。

容姿は生前と何も変わっていません。

背は高くて痩せ気味。

髪は短髪で優しそうな細い目。

少し大きめの黒縁のメガネ。

彼は何も言わずコタツに入ります。

いつものように無言で時間が過ぎ、テレビで除夜の鐘が鳴りはじめて彼が部屋を出ようと立ち上がった瞬間。

「…待ってよ」

この日、あなたはとうとう我慢できずに彼に話しかけてしまいました。

「待ってよ!私ね、すごい苦しいの!わかってるの?」

今まで我慢していた感情が一気にあふれ出しました。

「あなたが好きなの!まだ大好きなの!あなたと一緒に居られるなら、それが1年に1回でも、会話ができなくても、触れなくても、どんなにお金がかかろうとも構わなかった」

「でもダメなの。私ね、すごい頑張って働いてるの。あなたに会いたくて頑張ったの。美容院に行くのもったいないから自分で髪も切れるようになったのよ。前髪を切りすぎた時は会社を休もうと思ったけど我慢して出社したわ」

「あれからいろんな人に言い寄られたの。でも心配しないで。みんな断ったから。私が好きなのはあなただけだから」

「謝りたいことだってあったの。あなたが料理を作ってくれた時『ヘタね』って言ったけど、本当はそこまでじゃなかったのよ」

「ねぇ、なんか言ってよ!褒めてよ!笑ってよ!怒ってよ」

「…好きって言ってよ」

「あなたは変わらないけど、私だけ歳をとってるの。」

「私、このまま1人でおばぁちゃんになるのかなぁ。お金払えなくなったらどうしよう。」

「もう、どうしたらいいのか解んなくなっちゃった…」

「さわりたいよ。声を聞かせてよ…」

途中から自分でも何を言っているかわからなくなりながらも、あなたは胸の内を全て吐き出します。

彼は興奮しているあなたを静かに見つめ、そして抱きしめました。

ーーあぁ、懐かしい感触。

あの頃と何も変わっていない。

抱きしめられると、彼の胸のちょうど真ん中に自分のおでこが当たる。

彼の手の平が、ちょうど私の後頭部を包み込んでくれる。

パズルのピースがはまったようにすごく落ち着く。

この世に一つだけの自分の場所。

もう、この世のどこにも存在しない場所…

ーー彼の胸の中であなたは大声で泣きました。

その涙には今まで我慢していた感情だけでなく、規約を破った後悔、大好きな存在を二度も失う恐怖、抱きしめられた安堵感、誰にも打ち明けられなかった弱音、様々なものが入り混じっています。

泣きながら「ごめんなさい」「会いたかった」「もう会えない」「愛してる」「寂しかった」「大好き」「なんで死んだの」「バカじゃないの」「生き返ってよ」「なんか言ってよ」と、とりとめもなしに言葉を口に出しました。

彼は何も言わずにあなたを優しく抱きしめています。

あなたの足元には猫がじゃれてきました。

猫はノドをゴロゴロと鳴らしながら尻尾をピンと立て、あなたと彼の足の間を8の字を描くように身体をこすりつけながら歩いています。

やがて壁のスピーカーからブザーが鳴り、アナウンスが流れます。

「お客様は重大な規約違反により、今後は部屋の利用が禁止されます。直ちに退室してください。もう一度繰り返します。お客様は重大な規約違反…」

その声を聞いてあなたは我にかえり、彼の胸から離れ、じっと目を見つめながらこう言います。

「ねぇ、一緒に連れて行ってよ」

彼は真顔であなたの目を見つめ返し、かすかに唇を動かした後に首を横に振りました。

それを見たあなたは、一生懸命に笑顔を作り彼に向けます。

涙でグシャグシャの笑顔。

必死に泣き声を我慢してるせいで肩はひきつけを起こしているし、目からはボロボロと涙がこぼれてます。

それでも、あなたは精一杯の笑顔を彼に向けたのです。

そして足元の猫を抱き上げてギュッと抱きしめた後、そっと床に降ろし、もう一度だけ彼をしっかりと見つめてから、あなたは『思い出の部屋』を出ていきました。

こちらの記事もおすすめ!