「やっば……」

三月四日。汗ばむくらいに晴れた朝。

部屋の姿見の前で小さく呟く。

お気に入りのジーンズを太腿まで上げながら。

このジーンズ、こんなキツかったっけ?

ピョンピョンと小刻みに跳ねながらなんとか腰まで履くと、今度はジッパーが締まらない。

「やっば……」

二回目のヒトリゴト。今度は少し大きめ。

一旦ジーンズを脱いで床に置き、無言で見つめる。

おかしい。なんで入らないんだ?

ジーンズが縮んだようには見えないし……

あ、そうか。

今は厚手のタイツを履いてたんだった。

このパンツを買った時、たしか素脚のジャストサイズで選んだんだよね。

下にタイツを履いていれば窮屈で入らないのは当然。

自分に言い聞かせるよう、頭の中で反芻しながらタイツを脱ぐ。

ついでにトイレも済ませた。

念の為、足のむくみを取るストレッチもした。

一応、歯も磨いた。意味があるかわからないけど。

万全の状態にして再び挑戦。

ーーー5分後。

再び姿見の前で呆然とした。

やっぱり履けない。

どうしてもジッパーが締まらない。

もしかして僕、太った……?

受け止め切れない現実に膝から崩れ落ちそうになるが、ジーンズが窮屈で膝を深く曲げることすら出来ない。

僕には悲しみに打ちひしがれることすら許されないのか。

鏡に映る、ジッパー全開で膝を中途半端に曲げた姿。

その格好があまりにも滑稽で、それを見てさらに呆然とした。

うすうす気がついていたんだ、本当は。

このお腹周りが『むくみ』ではなく『脂肪』だということを。

ずっと目を背けていたというか、わずかな希望にかけていたというか。

『目の錯覚』的な要素がワンチャンあると思っていた。

しかし、もう目を背けることは出来ない。

向き合うしかない、鏡の中の自分と。特にお腹周りと。

ーーーあぁ、ロックダウン明けに購入したAmi Parisのデニムパンツ。

伸びない硬めの素材。形はめちゃくちゃ綺麗なスリムシルエット。

値段は少し高いけど、その分

「このパンツが履けなくなったら勿体ない。絶対に体型維持するぞ!」

ってモチベーションになって。

今日は天気が良いから久しぶりに履こうと思ったのに。

……ほんの四ヶ月前までは履けていたんだけどなぁ。

そもそもなぜ太ってしまったのだろうか。

もしかしたら年末から最近にかけて、何度か深夜にポテチ食べたのがいけなかったかもしれない。

正直に言ってしまえば『何度か』なんて頻度じゃない。もっと多かった。

さらに白状すればポテチだけでなくアイスも食べた。なんならケーキも食べた。

昨日なんて映画を観ながらポップコーンみたいにヒナアラレを食べていた。「ひな祭りだから大丈夫」なんて言いながら。

あの時は何が『大丈夫』だったのだろう。自分でもわからない。むしろ全然ダメじゃないか。

太った原因に思い当たるフシが多すぎて自分がイヤになる。

しかし過去を悔やんでも仕方ない。今日からダイエットしよう。

深夜にお菓子を食べない。アイスも、ケーキも、ヒナアラレも。

そして四月までには、再びこのジーンズを履けるようにするんだーーー

そう決意してジーンズを脱ごうとすると、今度は汗ばんだ肌に生地が引っかかり思うように脱げない。

立ったまま脱ぐのを諦め床にゴロンと仰向けに転がり、身体を捩りながら少しずつパンツをずり下ろす。

ふと、小学二年生の頃、クラスで飼っていたザリガニが脱皮していたのを思い出した。

アイツも水槽の底で横になってモゾモゾ動いていたっけ。今の僕みたいに。

頭の中で、ジーンズを脱ぐ自分と脱皮するザリガニのイメージが重なる。

なんとかパンツを脱ぎ終えた頃には全身にジットリと汗が滲んでいた。

クシャクシャのインディゴブルーの抜け殻を見ていると一仕事終えた気分になり、そのまま床に大の字になった。

背中に伝わる床の冷たさがヒンヤリと心地よい。

「やっばぁ……」

三度目のヒトリゴト。たぶん気持ち良さにニヤけていたと思う。

窓に目をやると、レースのカーテン越しに優しい日の光が差し込んでいた。

少しだけ開けた窓から風が吹き込むたび、レースがユラユラと小さく揺れる。

それが水面みたいにキレイで。

あの時、脱皮後にザリガニが水槽の底から見上げた水面もこんな景色だったのかなぁ。

目をつむると、瞼の裏でザリガニは両手のハサミを高く掲げていた。

まるでバンザイしてるようで。
どこか誇らしげで。
それが、少しだけオカシくて。

「なんでバンザイしてるんだよ」

気がつくと、笑いと一緒に言葉がこぼれていた。

窓からの風には春の匂いが混じっていた気がする。

いかがでしたか?

今回はいつもと文体を変えて近況報告を書いてみました。

なぜいつもの『です・ます調』を変えたのかって?

そんなの決まってるじゃないですか。

文体を変えなきゃ書けないくらいショックだったんですよ。