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雨が冷たい理由

ハウスダンスインストラクター万里の日記
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【こんな状況だといつもより雨が冷たく感じる】
昨日の朝、Twitterでの僕のつぶやきです。

目が覚めた僕は窓から雨を確認してから、カーテンを閉めて再びベッドに戻りツイートしました。

現在、新型コロナウィルス対策によるスポーツクラブ臨時休館のため僕はダンスレッスンをしていません。

「イヤだなぁ。いつまで続くんだろう」
ベッドの中で自然とグチがこぼれました。

ネガティブな感情に包まれていると、日常の何気ないことですら自分に対して悪意や嫌悪を向けているように感じてしまいます。

そう。ただの雨さえも。

桜の開花宣言も間近の3月中旬。なのに雨が雪のように冷たく感じるなんて。

『やまない雨はない』という言葉は知っています。

でも僕には『雨が止むかどうか』じゃなくて『今雨が降っている事実』が問題なんです。

この『雨』のせいで。『新型コロナウィルス』という雨のせいで日常に制限がかかる事が、みんなに会えない事が大問題なんです。

みんなと過ごせない時間がこんなに寂しいなんて。
みんなと過ごせない事がこんなに不安なんて。

そして、みんなと踊ることが僕の人生にこんなにも大きな意味を持っていたなんて。

この雨はまるで雪のように冷たく、1人では凍えてしまいます。

人を温める最も有効な手段は『人の体温(ぬくもり)』です。ネットや文字ではなく、直接触れ、話し、そして笑うことで人は身体の奥から温まる事ができます。

しかし新型コロナウィルスは接触感染の恐れがあるため、その手段が使えません。

こんな危機的状況でこんな大切なこと、人が1人では生きられない理由を再認識するなんて皮肉ですよね。

【こんな状況だといつもより雨が冷たく感じる】

この言葉には、みんなに会えない僕の寂しさや不安、もどかしさが込められていました。

この世界中に振り続ける『新型コロナウィルス』という雨は、僕らの身体だけでなく心まで冷やしてしまうのです。

ーーということで、昨日はこんな詩的なツイートをしたんですね。

心情が雨の体感温度すら変えてしまう。

「ここまで感覚が鋭くなるなんて、いつのまに成長したんだ」
自分の感受性の高さに驚きつつも感動しました。

よく『視力を失った人は耳や鼻など他の感覚が発達して視覚情報を補う』という話を聞きますが、僕もダンスをしていないため他の感覚が鋭くなったのでしょう。

この短期間での成長はバージョンアップとよんでいいレベルであり、つまり今後は僕のことを

万里ver.2.0

と呼んでも差し支えないでしょう。

「今なら感動的な文章が書けるかもしれない」

ゴリラの話よりももっと多くの人に届く、いや、胸に突き刺さる文章がかけるかもしれない!

雨だからといって、コロナ騒動だからといってジっとなんかしていられない!今の僕にしか出来ないことをしなきゃ!

(ちなみにあのゴリラの記事、たった1日でいつものダンスやお役立ち記事の3倍近くの人に読まれました。プチバズというやつです。しかし僕がゴリラ認定される内容だっただけに素直に喜べません)

じっとしていられずパソコンに向かおうとベッドから飛び起きました。

「カーテンなんか締め切ってる場合じゃない!」
勢い良くカーテンを開けた時、窓からの光景に言葉を無くしました。

『雪みたいな雨』ではなく、本当に雪が降っていたんですよ。

感受性とか関係なしに冷たく感じて当然でしたっていうかこんな寒いのに雪に気づかないと感覚がそうとう鈍ってる。鈍感を通り越して愚鈍ですわ。

ということで、昨日の僕は何もしませんでした。

バージョンアップもしてなかったし。

やはり雨の日はジッとしているのが1番ですね。

【追記】

今日、一緒に散歩した友人からゴリラの記事を読んだと電話がありました。

謝罪もしくは賛辞かなと思ったのですが、電話でヤツは

「ゴリラと言っても子ゴリラだからね。猿山とか行ったら人気者になれるよ」

と補足してきました。

いやいや。

子ゴリラって褒め言葉なの?

つーかそもそもゴリラは猿山にいねぇし。

あと猿から人気者になったことあるし、僕。

猿と万里バリに行った時、この猿からエサもらったんですよ。

僕が猿にエサをあげたんじゃありませんよ。僕が猿からエサをもらったんです。

僕は本当に子ゴリラなのかもしれません。

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