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真理に到達した話

日常での雑記
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僕はインスタントラーメンが好きで。
というかインスタント焼きそばが苦手で。

つまりインスタント焼きそばが苦手だから結果的にインスタントラーメンが好きになったんです。

ここで誤解して欲しくないのは、インスタント焼きそばは【苦手】であって【嫌い】ではないことなんですね。

むしろ味的には大好きですから。

詳しく言うと【インスタント焼きそばを作るのが苦手】なんです。

だってね。

僕がインスタント焼きそばを作ろうとすると、つい条件反射でフタを開けた一連の動作でソースなりマヨなり入れてしまい、毎回お湯捨てる段階で茶色い液体がシンクに流れるのを見て「いやな予感しかしない」となり、結果的にうっすい味したボソボソの謎麺を淀んだ目で食べるという怪奇現象が昔から高確率で発生してしまうんです。

そんなのを学生時代からかなりの割合でやらかしてきた僕ですが、ここ数年で最終的に学びまして。

ここまで書くと、僕に対して【万里さんはカッコいいプロダンサー】というイメージを抱いてくれてる人達は「やっぱ万里さんはすげぇ!ちゃんと失敗から学習して苦手を克服してるんだ!」と目をキラキラさせて期待してくれてると思うんですが、インスタント焼きそばを作らない、という方に学習したんですね。

普段の僕を知る親しい人達は「万里やっぱりな」ってなってるはずです。

いや、落ち着いて作ればいいのだろうけど、インスタント食品が食べたい時なんて大体空腹で頭回らないからね。

飢えた野犬みたいな感じで袋開けてるからね。

そんな状態の僕に冷静な判断能力なんて皆無だからね。

そんな感じで毎回ミスするんだったら最初から作らないで別の作業や仕事に集中した方が効率がいいと気がついたんですよ。

そんで今日のお昼にインスタントラーメンを作りながらふと「これって他の事象にも当てはまるんじゃないか」と思いまして。

【他人は簡単にやっているけど自分には難しいこと】ってあるじゃないですか。

そんな時、つい「自分は不器用だなぁ。何やってもダメだなぁ」って失望しちゃうんですよね。

でも、それはある種の逆説の証明みたいなもので【他人は難しいけど自分は簡単に出来ることもある】ってことの裏返しなんです。

僕はよく「先生は器用だからなんでも出来ちゃうのね」と褒めていただく機会がありますが、実際はインスタント焼きそばもまともに作れない人間なんでね。

しかし何か1つが出来なくてそれで自分の価値を決めてしまうのはかなりもったいなくて。

99個が他人より不器用でも、たった1個(僕ならダンス)が他人よりも驚異的に器用ならそれはとても素晴らしいことだと思うんですよね。

たしかに、短所や苦手を自覚し克服する行為は素晴らしいことだし、その努力にはかけがえのない価値があると僕も思います。

だけど自分の長所や得意を自覚し、それをさらに伸ばしていく行為も同じく素晴らしく、そして価値のあるものだと信じているのです。

人間の脳には、欠けてる部分を見つけるとなんとかしてそこを埋めて完璧にしようとする習性があって、その完璧主義脳のおかげでさまざまな発明やサービスが生まれて人間社会が高度な発展を遂げたのも事実です。

しかし欠けた部分ばかりに気を取られてると、自分の長所に自信が持てなくなっちゃうんですよね。

欠けてる部分が気になる時って大抵視野が狭くなってしまってるから。

だから。

苦手を無理に克服しようとせず、欠けた部分を受け入れることも時には必要だなと思ったのです。

自分の欠けてる部分を欠点ではなく【余白】として受け入れ、自分はそういうデザインなんだと認めることで自分をもっと好きになれるんじゃないかなって。

欠点を余白として捉えれば、もう少し肩の力を抜いていきていけるんじゃないかなって。

そして自分に余白があるからこそ、他人の欠点も余白として受け入れられる大きな心の余裕が生まれると思うんです。

そんなある種の真理に到達し、1つ大人になった気分で出来上がったラーメンを食べたらびっくりするほど不味いんですよ。

マズイなぁこのラーメン。
味は極端に薄いし麺はボソボソで硬いし。
なんだこれ。

と食べ終わって袋見たら、どう見ても袋の写真が焼きそばなのね。

どうやら僕、焼きそばをお湯で溶かして食べてたみたいで。
そりゃ絶対にマズイ訳だよね。

結果的に淀んだ目で謎麺を罰ゲームのように食べてましたよ。

ということで、さっき到達した真理はまやかしで、ある程度の苦手は克服しなきゃダメっていうか必要最低限のことはきちんと出来るように努力した方が絶対にいいって新たな真理に到達しました。

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