電車の中吊りで可愛い子猫の写真を見かけました。
猫を飼った事のある人なら分かると思うのですが、外で猫や猫の写真なんか見ると瞬間的に自分の猫(もしくは飼っていた猫)を思い出すんです。
そしてどんなに可愛い猫を見ても、しかもみんなの前では「かわいー!」なんて言ってても、心の中では
「なんだかんだでウチの方が100万倍可愛いわ。こんなんウチの猫の足元にも及びませんわ」
となるんですよね(きっとこの後に僕の猫の写真を見ても「ウチのが1番」と思うはずです)
僕の実家にも15歳になるメスの老猫がいます。
(8年くらい前の大河さん。控えめに言って美人)
大河(タイガ)という男らしい名前なんですがメス猫です。
みぞれ混じりの雨の中、小さな段ボール箱に捨てられていたのを拾いました。
拾った当時、彼女は手のひら程の大きさで、それはそれは可愛くて目に入れても痛くないほどでした。
(左が大河で右がシノ。拾った日の写真。控えめに言って二匹とも美形。シノくんは友人に引き取られました)
実際、僕が寝ている時に何度も目潰しをしてきましたが痛くありませんでした。
ウソです超痛かったです。
でも、それも余裕で許せるくらい可愛かったんです。
そんなウルトラビューティ☆大河もすっかり歳をとりました。
背中を撫でると背骨がゴツゴツして、艶やかだったトラ模様の毛皮もゴワゴワです。
まるで歌ってるかのようなキレイな鳴き声もしゃがれてきました。
歩く姿はトップモデルばりで見ているだけでタメ息がでましたが今では寝てばかり。
だけどね。
だけど、それらの全て愛しいんです。
出会った時よりもずっとずっと、今の姿の方が愛おしいんです。
寝ている姿を見てはタメ息をついてます。
スーパーウルトラビューティフルビューティアルティメットスペシャル☆大河は世界中のどんな猫よりも、どんな生物よりも可愛いんです。
最近は大河があまりにも可愛い過ぎて「もうこれは『猫』とかじゃなくて神の作りし芸術作品なのかもしれない」と思い始めました。
神様も大河を造った時あまりの完成度の高さに「あかん、めっちゃ可愛い猫でけた。やっぱ天才、いや、神様やわワシ」と言ったに違いありません。
「さてこのカワイコちゃんどないしよ。お、あそこにショボくれた青年おるな。(手元の全人類設定資料集を見ながら)エーとなになに、『万里』ちゅー名前か。職業ダンサーと。けったいな仕事しとるな。しかも最近人生に悩みがち。最近の若いモンは何かあるとすぐ悩む。人間の器が小っさいからやで。よっしゃ!出血大サービスや!!この可愛い可愛い猫ちゃんをあの男にプレゼントしたろ!!これでちっぽけな悩みなんてパパーっと吹き飛んで器も大きゅうなるやろ!この子メスやから『サクラ』とか『モモ』とか『小雪』みたいな可愛らしい名前つけたってや!頼んだで!」
「ニャー」
「お、捨て猫だ。拾うか」
「シャー!」
「武闘派なオスだな。今日からお前の名前は『大河』だ」
✳︎
翌朝
ザシュッ!(目潰し)
「うぎゃああああ!いってええぇえ!なんでぇぇええ!?!?」
ーーこうして僕の人生の悩みは大河との出会いにより吹っ飛びました。
大抵のイヤなことやストレスは大河のモフモフのお腹を撫でれば「別にどうでも良いや」と思えるようになりました。
ただ大河と出会ったことで新たに生まれた悩みもあります。
それは、電車の中吊りで可愛い子猫の写真を見ても
「こんなんあざといだけじゃ。大河様の足元にも及ばんわ。出直してこい」
と心の中で悪態をつくクセがついてしまったことです。
結果的に人間の器がすごく小さくなってしまったんですね。