帰り道に耳元で愛を叫ばれたり、名前を聞かれた話。

すっかり夏ですね。
夏といえば恋の季節。
生きとし生けるものが、恋に浮かれ、その命を燃やしています。
こないだなんて、信号待ちをしていたら目の前のカップルが炎天下にも関わらずピトッとくっついて
「ねぇ、チューしてぇ♡」
「ここで? 人に見られるよ〜」
「だ〜れも見てないってぇ。ねぇ〜、チュー♡」
なんてハァハァ言ってました。こっちは暑さでハァハァ言ってんのにさ。お前ら本当にぶっ倒れるぞ。
で、そんなの見てるとこっちが目眩してきまして。
「あぁ、これが猛暑になると増える『ね、チュウしよう♡(熱中症)』ってやつか」
なんてボーっとする頭で妙に納得していました。
そんな世界中が恋に浮かれる季節。そう、それが夏。
当然、僕もモテてます。
昨日も帰宅途中に突然耳元で愛を囁かれました。いや、囁くなんてものじゃなかった。あれは叫んでいたね、愛を。
その直後、また別の人に「名前を教えてください!」なんて連絡先を聞かれちゃって。
「急いでいるんで」って断ったんですけど、なかなか逃してくれないんです。ほんと困っちゃいましたよ。でも真剣な眼差しだったなぁ、あの人。
というわけで、今回は昨晩の
『耳元で愛を叫ばれたり、名前を聞かれた話』
をしようと思います。
言っておきますが、これは自慢ではありませんからね。
これが僕の日常ですから。
———
アスファルトに昼間の熱が残る深夜の銀杏並木。最近ハマっている落語を聞きながら帰っていたんです。
0時近くだというのに蝉がミンミンと鳴いていました。
ふと、地面に目を落とすと仰向けの蝉が一匹。きっと寿命が近いのでしょう。
「誰かに踏まれるのも可哀想だ。植木の土の上においてあげよう」蝉に指を近づけると、その脚でガシッと掴んできました。瀕死とは思えないほどの強い力。
これなら木にとまれると思い、近くまで運ぼうとしたらブブブブと音を立てて飛び立っていきました。
暗闇に消えていく蝉。
「良かった、元気そうじゃん」安心して帰ろうとした瞬間、蝉が戻ってきてとまったんです。
僕の右耳に。
暗闇で耳に蝉がとまるとか恐怖でしかありませんよ。
あの硬く乾いた脚の一本一本が耳をまさぐるようにしがみつく感触、今でも忘れられません。「耳から入ってくるぅ!」って思いましたからね。イヤホンしてたけど。
しかもね、あろうことかその蝉
鳴き始めたんです。
蝉にとって『鳴く』ってのは求愛行動。つまりこの蝉、瀕死なのに最後の力を振り絞って耳元で
「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる!」
って叫んでるってことじゃないですか。やっぱり都会の蝉は違いますね。積極的ですよ。
耳元で愛を囁かれたことすらないのに、耳元で愛を叫ばれて僕は完全にパニック。
ていうか暗闇で耳に蝉がとまった挙げ句に鳴かれたら、誰でもパニックになると思うんですけどね。
蝉を振り払おうと暴れていると、後ろから声をかけられました。
「どうしたんですか?」
不安になっているところに人の声ってのは本当にありがたいもんです。半泣きで振り返るとパトロール中のお巡りさん。
「蝉が僕の耳にとまって鳴いてるんです!」
「蝉?どこに?」
気がつくと蝉はいなくなってました。
「蝉が耳にこう、ガシッとしがみついてきたんです!なんか耳の中にまで入ってきそうで怖くなっちゃって」
うんうん、と返事しながらガシャンと自転車のスタンドを立てるお巡りさん。
「ちょっといくつか質問して良いかな?」
もしかして職質?
「本当に蝉がとまっただけなんですって。不審者とかじゃありませんよ」
「大丈夫大丈夫。でもほら、暑くなると増えるからさ、念の為ね」
『増える』ってのは蝉?それとも不審者?
「えーと。じゃ、お名前を教えてください」
「あの、急いで帰りたいんですけど……」
「すぐ終わらせますから」
お巡りさんの真剣な眼差しに『絶対に帰さない』という強い意志を感じ、観念して素直に答えることにしました。
「はい、『万里さん』ね。職業は『プロダンサー』、と。で、それは電話してたの?」
僕のイヤホンを指さすお巡りさん。
「いや、これは落語を聴いてました」
「あぁ、落語。私も聴きますよ。小三治師匠とか」
なんて偶然でしょう。たった今僕が聴いていたのも柳家小三治師匠の『鼠穴』だったのです!
「いいですよね、小三治師匠!あの間の取り方が絶妙で。まるで二人で会話してるようだから、つい頷いちゃいますよね!」
興奮して話すと、落語好きのお巡りさんはなんて答えたと思いますか?
「免許証か身分証明書もってる?」
ですって。
全然キャッチボールしてくれないの。全く粋(イキ)じゃないんだから。
でもその目があまりにも真剣だったので、やっぱり観念して免許証を出そうとした、その時。
飛んできた蝉がお巡りさんの胸元にとまって鳴き始めたのです。
それをきっかけに、周囲の蝉たちもより激しく鳴き始めました。
驚いて蝉を払うお巡りさん。その蝉が飛んできて僕の服にピタ、僕もびっくりして払うとまたお巡りさんにピタ、お巡りさん払って僕にピタ、僕からお巡りさんピタ、そんでまた僕ピタ……
突如始まる蝉キャッチボール。
しばらくすると蝉は空に飛んで行きました。
二人で呆然とその姿を見送っていると、お巡りさんがポツリと一言。
「深夜なのに、なんでこんなに蝉がうるさいんだろう」
だからね、腕時計を見せて言ってやったんですよ。
「ほら、今ちょうど0時じゃないですか。きっと蝉たちも張り合って(針 合って)鳴いてるんでしょうね」
って。
この返しに、落語好きのお巡りさん、なんて答えたと思いますか?
「で、免許証か身分証明書もってる?」
ですって。
———
以上が、昨晩体験した
『(蝉に)耳元で愛を叫ばれたり、(お巡りさんに)名前を聞かれた話』
でした。
これが僕の日常。
ほんと、自慢にもならないんですけどね。
















