ある晴れた日の昼下がり。
いつも通る公園の桜が満開だったんですよ。
誰もいない公園に舞い散る無数の花びらは映画のワンシーンのように美しく、思わず足を止めて見惚れてしまうほど。
どこかに座ってゆっくり桜を見ようと公園内を見渡すと、桜の横にあるブランコに目が止まりました。
絶好のお花見ポジションじゃないか。心の中でつぶやいてリュックを境界柵(ブランコの周りを囲っている小さな柵)の下に置き、ブランコに座ります。
見上げると視界を覆い尽くすほどの桜。
風に吹かれるたび舞う花びらを見て「おぉ」と言葉が溢れました。
こうやってじっくり桜を見上げたの、何年振りだろう。
ブランコを揺らすたびに響くキィ、キィという金属音が満開の桜に吸い込まれていくような気がして、それがなんだかすごく『いいな』って思えて。
そしたら素晴らしいアイデアが閃いたんです。
ブランコを高く漕げば、桜をより間近で観られるんじゃね?
と。まさに天啓ってやつ。
揺れるタイミングに合わせてヒザを曲げ伸ばしするたび、グングンと上昇し桜に近づくブランコ。
もっと高く。
もっと、もっと。
桜の枝に触れるくらい高く。
桜を突き抜けて空に飛び出すくらい高く、高く。
気がついたら夢中で漕いでいました。
僕の中に眠る『野生の血』、というか
『小学生の血』
が目覚めたのでしょう。
男なんて何歳になってもそんなもんですよ。
あと少しで桜の枝に触れそうな高さまで上がった時、自分も舞い散る桜の一枚になったような気がして、それがなんだかすごく『いいな』って思えて。
そして、すっかり大人になったこの身体の隅っこに、まだ小学生の自分が残っててくれていたのが嬉しくて。
ふと下を見ると、皆んな小さく見えました。
これが桜からの視点か。
ブランコを囲む境界柵も、その傍に置いたリュックも、僕に向かって手招きするお巡りさんも、皆んな小さい。
……お巡りさん、だと?
ズザザザザーッと慌てて地面に足を擦り付けてブランコを止めました。
「楽しんでるとこごめんね。何してるのかな?」
穏やかに話しかけてくるお巡りさん。
「ブランコを漕いでました」
「なんでそんな必死なの?」
「桜がキレイだったから……つい」
「ちょっとブランコ降りてこっち来てもらえる?」
完全に不審者だと思われてる。
「今、お酒とか飲んでる?」
「いいえ、飲んでません」
「シラフであんなに勢いよく漕いでたの?」
ですよね。
「花見をしてて」
「うん」
「もっと間近で桜が見たくなって」
「うん」
「だから、あの枝の桜を目指してブランコ漕いでたんですけど」
「うん?」
「漕いでるうちにテンション上がっちゃって。気がついたら全力でした」
「やっぱり酔ってるでしょ?」
ですよね。
その後のお巡りさんの話では、この時期の公園は花見で酔っ払いが多いので見回っていたとの事。
言われてみればベンチの周りにはビールの空き缶やお菓子の袋が散乱していました。
「……そんなワケで一応声をかけただけだからさ。お兄さんもブランコから落ちないように気をつけてね」
そう言い残してお巡りさんは自転車で去っていきました。
まったく、ブランコを漕いでるだけで酔ってると思うなんて失礼な話だと思いませんか?
───まあ、
桜吹雪の中でブランコを漕ぐ自分に酔っていたのは事実なんですけどね。